天理時報オンライン

「おはようございます」の笑顔から – わたしのクローバー


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携帯電話を持たずに散歩へ

昨年夏のこと。高齢の母が脚のけがで入院することになりました。新型コロナ感染症対策のため、まだ一切の面会が禁じられているころです。

隔離された病室が遠い世界のように感じられます。頼りない思いで一人、不安そうな顔でベッドに横になっているのではと、こちらも不安になっていたら、携帯電話から母の声が聞こえてきました。

普段はほとんど役目がなかった母の携帯電話ですが、短縮番号で家族を呼び出すことができたようです。とりあえず、元気そうな声を聞いてホッとしました。直接会えないけれど、声でつながりを確認することができました。つないでくれたガラケーに感謝です。昔ならどうしようもなかったなぁ。

そういえばと、携帯電話を持たずに外へ出て、焦ったときのことを思い出しました。

もう20年ほども前のことです。その日は勤務先の高校の校外学習。行き先は、まだ開業間もないUSJ。早めに出掛ける準備をして、出張中の夫に代わって愛犬の散歩に出ました。ちょっとそこまでだし、と鍵を持たずに。

ところが、ほいほいと帰ってきて驚きました。誰もいない……。玄関には鍵がかかっています。いつもなら、まだ娘たちがぐずぐずしていそうな時間なのに、サッサと戸締まりをして登校してしまったのです。

娘たちが通う中学校も当日は校外学習で、登校時間が変わっていたのです。嬉しそうに私の顔を見る愛犬の横で、頭の中は真っ白になっていきました。

一日中、家の外で娘たちの帰りを待つ?いやいや、玄関に置いたカバンには、私が受け持つクラス全員分の入場チケットが入っています。なんとかして家に入らなければ――。でも、どこもしっかりと施錠されています。普段は走っていける距離に職場がある夫なのに、数日前から海外へ。私の手元には何もありません。「たすけて〜」と叫びたいけれど、誰にも連絡が取れない。集合時間は迫ってきます。

どうする? どうする?

ご近所さんとLINE交換

イラスト・ふじたゆい

まずは大きく深呼吸。すると、近所のIさんの笑顔が浮かびました。引っ越してきて、まだ朝のあいさつ程度しか交わしていなかったIさん宅のインターホンを押しました。

「朝早く、ごめんなさい……」

事情を話し、電話を借りてタクシーを呼びました。そして娘の中学校に連絡して、わが家の鍵を娘から預かってもらうよう事務所の人に頼むと、タクシーで私の集合場所へ行き、バスの出発を少し遅らせてくださいとお願いしました。中学校の事務所で鍵を手にしたとき、ちょうど娘たちを乗せた校外学習行きのバスが、門を出るのが見えました。冷や汗が出ました。

家の鍵も、財布も、携帯電話も持たずに一人放り出され、どうしていいか分からず呆然とした出来事です。幸い、命に関わるような大事ではありませんでしたが、自分は誰ともつながっていない、つながれずにいると思うと、不安いっぱいになりました。

このとき、「たすけて!」と駆け込めるご近所さんがいて、本当にたすかりました。思いきって頼めたのは、Iさんの笑顔を思い出したからです。朝の短いやりとりですが、「おはようございます」の笑顔と共に、日ごろから安心感を頂いていたようです。

誰ともつながっていないと一時は不安になりましたが、実は近くにいる人が、つながっていることに気づかせてくれました。身近な人とのつながりが、実は大きな力になるのです。

私たちは、遠くの人、近くの人、知っている人、知らない人など、たくさんの人たちとつながりを持っていて、その“見えない網の目”に支えられて生きているのですね。

最近、IさんとLINEの交換をしました。「これからもよろしくお願いします」と、心の中で手を合わせています。


藤本加寿子(天理高校元教諭)
1959年生まれ