第39話 受け取った物を、また別の誰かに贈る – ふたり
前話のあらすじ
第38話 新しく生まれ、はじまるもの
秋が近づいた満月の夜。カンとハハは一緒に海に出た。ボードにまたがり、水を切って進むカンの手は、あのときの父と同じくらい大きくなっていた。
今年も棚田の稲が黄金色に実った。ここに来ると、きまってツツのことを思い出す。小学校の体験学習で田植えをしたとき、カンはポケットから取り出した緑色の小さなカエルで彼女を驚かせて、田んぼに尻もちをつかせた。梅雨明け間近の田んぼでホタルを見たとき、ツツはあまりの数に圧倒されて言葉を失った。そしてカンから受け取ったホタルを、両手に包んだ指のあいだから覗き込んでいた。
一つひとつの光景が、まるで昨日のことのように思い出される。東京へ帰っていった彼女が、これからどんな人生を歩むのか、わたしにはわからない。とりあえず毎晩、ぐっすり眠れるようになればいいと思う。さらに個人的な希望としては、カンとツツが保苅青年とのぶ代さんのようになってくれればいい。しかし犬にもいろんな事情があるように、人間の場合にはさらに複雑で厄介な問題があるのだろう。
ツツがいないかわりに、すっかり元気になった新太が稲刈りに加わった。のぶ代さんが言うには、新太は一冊の絵本に救われたのだそうだ。全身麻酔で手術を受けているとき、夢のなかに、彼が好きだった絵本のキャラクターが出てきた。オランダという国で生まれたウサギらしい。その絵本が新太は好きで、のぶ代さんは毎晩のように読んでいた。
「そしたら出てきたんだって。手術のあいだベッドのそばに立って、ずっと見守ってくれていたらしいの。あらためて絵本って偉大だなと思った。空想か現実かとかいう問題じゃない気がする。あの子がいる世界には丸顔のウサギも一緒に住んでいて、苦しいときもひとりぼっちじゃなかった。そういう気持ちにさせるところが作品の力だな」
つまり新太にとっては、そのオランダ生まれのウサギが、ハハにとってのトトみたいなものなのだろう。違うかもしれないけれど、そういうことにしておこう。
「田んぼや畑の土を掘ると、表面から二十センチが黒い土で、その下に黄色い土や砂があります」。農家の人が体験学習でやって来た小学生たちに説明している。「黒い土は、わたしたちの先祖が堆肥やレンゲや菜の花などの緑肥を施し、わらや野菜くずを入れて耕しつづけてできたものです。言ってみれば、先祖が蓄えてくれた貯金なのです。しかし何年か耕作をやめれば、彼らが苦労して作ってくれた田んぼや畑も、すぐに荒れ地に戻ってしまいます。だからわたしたちは大切に、この棚田を守っていきたいと考えています」
保苅青年がツツに話していたことを思い出した。自分というものは、どこかからもたらされたものだから大切にしなければならない。人が生きることは贈り物を受け取り、受け取ったものを大事に耕して、また別の誰かに贈ることなのかもしれない。