逆境が人を育てる – 日本史コンシェルジュ
世界を見渡すと、古代から現代まで戦乱の歴史に溢れています。では逆に、平和な時代はどのくらいあったのでしょうか。
西洋で語り継がれているのは、「パックス・ロマーナ」。紀元前27年から約200年間、ローマ帝国の繁栄により平和が続いたといわれています。200年続く平和というのは、世界史では紀元前まで遡ってもほとんど見当たらない、まさに奇跡なのですね。
その奇跡ともいえるパックス・ロマーナを超える長い平和を、一国の歴史の中で三度も経験した国があります。それが、私たちの国・日本です。三度とは、縄文期、平安時代、そして江戸時代。1世紀以上続いた戦国の世を終わらせ、265年に及ぶ長期安定政権を築くことで長い泰平をもたらしたのは、いま話題の徳川家康です。
家康の人生は、幼少期から苦労の連続でした。岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれたものの、3歳のころ両親が離婚し、母親と離れ離れに。さらに6歳から人質として今川義元のもとに預けられます。やがて成長し、戦に駆り出されるようになりますが、義元は激戦が予想されるところに、人質である家康の軍を投入しました。当然、家康に付き従ってきた松平の軍勢からは、大きな犠牲が出ます。
そのたびに、松平の家臣団は、人質という境遇にいつまでも甘んじることなく、「この若君のもと、もう一度、松平の旗を立てよう」と心を一つにしました。この逆境が、家臣団の結束力を育んだのです。そして激戦を経験すれば当然、軍は強くなっていきます。つまり逆境の中で精神的にまとまり、武力も強化されていきました。これは、家康の天下獲りの重要な布石になっていきます。
そんな松平の軍勢が大敗北を喫したのが、家康31歳のとき、三方ヶ原で起こった武田信玄との合戦でした。命からがら浜松城に逃げ帰った家康は、このときの情けない姿を肖像画に描かせ、慢心を戒めるために終生持ち続けたといわれています。やはり、逆境が人を育てるのですね。
ところで徳川家康の旗印と言えば、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」。一見すると「穢れたこの世を捨て、極楽浄土を求める」と読み取れるのですが、家康は「穢れたこの世を極楽浄土にする」との思いで旗印にしたといわれています。試練に耐え、逆境を力に変えた家臣団が、「乱世を終わらせ、極楽浄土を創る」という家康の志を支え、世界に類を見ない泰平の世を実現したのです。
白駒妃登美