意匠からたどる遺物の歴史 – 参考館「マンデートーク」ダイジェスト
テーマ「富雄丸山古墳の副葬品」
天理参考館(橋本道人館長)は毎週月曜日、展示解説「マンデートーク」を開催している。10日には、藤原郁代学芸員が「富雄丸山古墳の副葬品」と題して、今年1月25日に富雄丸山古墳(奈良市)から出土したことが発表された、類例のない「盾形銅鏡」と長大な「蛇行剣」、さらに同古墳の出土品で同館が所蔵する3枚の「三角縁神獣鏡」について解説した。その内容をダイジェストで紹介する。
今年のはじめ、奈良市にある日本最大の円墳「富雄丸山古墳」で類例のない盾形の鏡「盾形銅鏡」と長大な「蛇行剣」が出土したことが発表され、大きなニュースになった。
この二つの遺物が出土した場所は、古墳の主が埋葬されている墳丘の頂部ではなく、墳丘の裾にある付属的な埋葬施設だった。
埋葬の際、石室を造ってもらえない立場の人は、遺体を収めた木の棺を穴に入れてから粘土で覆い(粘土槨)、土をかぶせて埋葬される。二つの遺物は、未盗掘の状態で発見された粘土槨の上に置いてあったという。
これまで「盾形銅鏡」という言葉は存在しなかったが、全長60cmの出土品は古墳時代の盾の形をしているうえに、二つの大きな模様が古墳時代前期の鏡と同様のものであったため、そう呼ばれる。
また、この鏡の模様は古墳時代前期の「だ龍鏡」と呼ばれるもの。だ龍鏡は参考館も所蔵しているが、本来、銅鏡に描かれるべき龍などの中国の霊獣の絵柄がぼんやりとしていて、分かりづらい。そのため中国の鏡工人ではなく、その意味をよく分かっていない人(日本人)が描いたものであると考えられ、古墳時代前期の日本列島で造られた国産の鏡といえる。ちなみに、参考館所蔵の「三角縁神獣鏡」の模様には、龍や虎、神の姿がきめ細かく描かれている。
一方の「蛇行剣」は全国でも出土しているが、一般的なものは長くても80cmほどであり、朝鮮半島や中国では見られない日本特有の出土品だ。このたび出土した蛇行剣は237cmととても長く、製造過程などを含め研究対象になっている。この超一級の珍しい二つの出土品は、確実に国内で造られたものであると理解できる。
このほかにも富雄丸山古墳墳丘頂部からの出土品は、京都国立博物館に腕輪や工具の形の石製品などが重要文化財として所蔵されていたり、1972年の発掘調査では、その腕輪と接合する破片が見つかったりしている。
模様が異なる3枚の鏡
富雄丸山古墳から出土した3枚の三角縁神獣鏡は参考館で展示されている。実はもう1枚、古墳近くの寺に、江戸時代から保管されていた三角縁神獣鏡があり、これも参考館所蔵の三角縁神獣鏡と同じく、富雄丸山古墳由来の出土品だとされている。
これら4枚の鏡は一つひとつ模様が異なり、その違いで型式や年代が判別できる。模様や意匠が繊細かつ、きれいに描かれていて、龍や神といったモチーフが分かりやすいものが古いとされる。そして、年代を経るごとに粗くなっていく。
同じようなデザインでも、目や衣服の造形の細かさに大きな違いがあるため、見比べてみるといいだろう。
先に挙げた盾形銅鏡と蛇行剣は、奇想天外で異色、まさに国宝級の素晴らしい遺物だ。そのうえで、日本最大の円墳の主とも言える頂部の埋葬施設には、正統派な遺物としての三角縁神獣鏡を含む数々の製品が副葬されていたということを理解してもらいたい。