人に尽くす姿を手本に家族で教えの実践へ – 修養科の四季
第977期 川田哲也さん
32歳・高知県須崎市・岩國分教会所属
天理教を知ったのは、教会長子弟の妻と出会ったことがきっかけだった。初めは戸惑ったが、教会へ足を運ぶたびに会長夫妻や信者さんが温かく迎えてくださり、天理教への印象が徐々に良くなっていった。
そんななか、職場の人間関係の悩みから抑鬱状態となり、体調を崩しがちに。心療内科を受診し、自分なりに必死に仕事を続けたが、人間関係は改善されず、昨年5月に退職した。
その後、山口にある妻の実家の教会が増築普請をすることになり、その現場で他系統の教会長Aさんと出会った。Aさんは妻の父親の頼みで遠路はるばる静岡からトラックを運転し、瓦葺きの手伝いに来てくださった。人のために尽くすAさんの姿に感銘を受け、思いきって自身の状態について打ち明けたところ、「修養科を志願してはどうか」と勧められた。
当時まだ、お道の教えのことは知らなかったが、「この機に、いろいろな信仰者の話を聞いてみたい」という気持ちが高まり、思いきって志願した。
「勇むしかないよ」と
最初の2週間は、授業やおてふり・鳴物の修練、ひのきしんなどに励む日常に、ついていくのがやっとだった。それでもなんとか頑張っていたが、環境の変化による疲労からか、面倒くさくなったり、イライラしたりするようになり、どんな気持ちで修養生活に臨めばいいのか分からなくなった。
そのことを教養掛の先生に相談したところ、「勇むしかないよ」と諭された。最初はその言葉の意味が分からなかったが、ふと周囲を見渡して、普段と違う視点でクラスメートを見てみると、彼らはいつも陽気にひのきしんに勤しんでいた。さらに、周りの人のために元気や明るさを広めようとする仲間もいた。
そんな姿に感化された私は、朝、修養科へ向かう道中ですれ違う人々に「おはようございます」と笑顔であいさつし、朝夕の神殿掃除も喜んでつとめることを心がけた。やがて、修養生活が楽しく思えるようになっていった。
教養掛の先生から諭された「勇むしかない」という言葉の意味が、ようやく分かった気がした。以後、残りの期間は勇んで過ごすことができ、つらいことがあってもやりがいをもって通れたように思う。
3カ月間お道の教えを学び、実践する中で、心に強く残ったのは「人救けたら我が身救かる」という教えだ。思えば、私を導いてくださったAさんも、この教えが身についているからこそ、人のために尽くすことを当たり前のようにやってのけるのだろう。
「いま私も『人救けたら我が身救かる』の教えを胸に、人のために尽くすことを心がけたい」と強く思う。そのためには、まず自分自身が勇み、喜んで通ることが大切だと思っている。身近なところから明るい声かけや振る舞いを心がけるなど、一人のようぼくとして、自分にできることから教えの実践に努めていきたい。
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修了後は地元に戻り、就職活動を続けている。その間、妻と娘の3人で所属教会へ足を運んでひのきしんをするなど、家族ぐるみで教えを求めている。
今年は3年ぶりに「こどもおぢばがえり」が開催されると聞いた。元気いっぱいに夏のおぢばへ帰れるよう、これからも家族3人、手を取り合って信仰の道を歩んでいきたい。