鯉のぼり冥利に尽きる – わたしのクローバー
子供たちの成長を見守り
今から21年前、長男の初節句を前に、実家から鯉のぼりが届いた。金箔の施されたキラキラ輝く鯉のぼり。しかも、とてつもなく大きい。
「鯉のぼりなんて買ったことなかったから、選ぶの楽しかった〜」と、電話口の母は興奮気味だ。やっとお座りできるようになった長男をその上に乗せ、写真を撮った。長男が大きな鯉に呑み込まれそうだった。
実家から送られてきたのは鯉だけだったので、主人の両親がポールを買ってくれた。真鯉の大きさから計算して10メートルもの高さのポールだ。家の駐車場に大きな穴を掘り、ポールの土台をコンクリートで固めた。
さっそく鯉のぼりを揚げてみた。家の周りに高い建物はないから、お腹いっぱいに風をはらんで、とても気持ちよさそうに泳ぐ。
それから毎年、節句が近づくと主人がポールを立てて、鯉を泳がせた。やがて次男の鯉が加わり、三男の鯉が増えて、なかなか賑やかだ。毎朝、小学生たちが登校する前に揚げ、夕方、暗くなる前に下ろす。単純な作業だが、思いのほか手がかかる。
ポールを立てるのも重労働だ。鯉のぼりはいつまで揚げるものなのだろう。息子の同級生の家は、中学入学と同時にやめてしまった。
コロナ下の空に泳ぐ
6年前、家の建て替えで大きな重機が入るのを理由に、その年は鯉のぼりを出さなかった。新しい家が建った翌年も、忙しい日常にかまけて出さなかった。その翌年も、バタバタしているうちに節句の時期を逃してしまった。
新型コロナの出現で世界中が静まり返っていた3年前、一斉休校で3人の息子たちが家に揃い、久しぶりに鯉のぼりを出すことにした。これまで主人一人が四苦八苦しながら立てていたポールも、息子たちの手で、あっという間に立った。
長い間泳ぎ続けてきた鯉は、あちこち破れ、継ぎはぎだらけ。それでも広い空を泳ぐ姿は、思いのほかのびのびとしていて、未知のウイルスへの恐怖に固まっていた心を、ゆっくりほぐしてくれるようだった。
そんなとき、通りがかりの女性から声をかけられた。「今年は揚げてくださったのですね。ありがとうございます」と、お礼を言われた。これまで毎年、ゆったりと泳ぐ鯉を見るのが、とても楽しみだったという。
近くに住むママ友からも「鯉のぼりありがとう」とメールが届いた。一人息子が進学で上京したばかりの彼女は、認知症の父親を介護している。「この町で鯉のぼりを揚げる家が少なくなってきたから、濱さんとこの鯉をずっと楽しみにしていたのよ」とも書かれていた。
息子たちが進学で家を出てからも、鯉のぼりは揚げ続けようかなと思う。
キャッキャと楽しそうに声をあげて通学する子供たちに見上げられながら、今日も鯉は泳いでいる。眺める人の心に、ひと時でも前を向く気持ちがもたらされるのなら、それは鯉のぼり冥利に尽きるというものだろう。
濱孝(天理教信道分教会長夫人)
1972年生まれ