「種蒔き」を心に再出発へ – 視点
世界保健機関(WHO)が5日、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言の終了を発表した。日本でも8日に感染症法上の位置づけが「5類」へ移行したことで、社会活動は活気を取り戻しつつある。
こうしたなか、教内でも活動や行事が徐々に再開されている。5月末までの教祖140年祭全教会一斉巡教を受け、全教会とようぼくが個々に目標を持って年祭活動に動き始めている。なかでも、今年1月にリニューアルした『天理いきいき通信』の売り上げが3月を境に大幅に伸びたことから、にをいがけを志す人が増えている兆しが感じ取れる。
この機会に、あらためて教祖がひながたに示された布教の心得の一端を振り返り、勇みの種としたい。
教祖が信者に布教を促されたと思われる史実で最も初期のものは、こかん様の浪速布教と元治元年の大和神社の一件があるが、それらを除いては『稿本天理教教祖伝逸話篇』13「種を蒔くのやで」のお話がある。
慶応元年のこと。大阪で「種市」という屋号で花の種を売り歩いていた前田藤助・タツ夫婦は、不思議なお導きで信心を始め、タツは教祖から「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで」とお言葉を頂く。「種を蒔くとは、どうするのですか」とお尋ねすると、教祖は「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで」と教えられた。それから二人は、種を売り歩く傍ら天理王命の神名を伝え歩き、病人があると二人のうち一人がお屋敷へお詣りして神様にお願いした。すると、どんな病人でも不思議にたすかった。
まだ、おつとめや身上たすけのためのおさづけがなかった時代である。種市は、病人をおたすけする際には、水行をし、おぢばの方向を向いて、神名を唱えて真剣にご守護を祈ったとも伝えられている。
この熱心なおたすけによって大阪に道が広がり、その芽生えとして多くの講社が誕生し、四国、兵庫、遠州、関東へも道が伸びていった。
コロナの大節を乗り越えた再出発の旬に、教祖がお仕込みくださった「種蒔き」を心に置いて、あらためて勤しみたい。
(諸井)