コケのとりこになった男 – 日本史コンシェルジュ
現在放送中のNHK連続テレビ小説『らんまん』。主人公のモデルは「日本の植物学の父」牧野富太郎。50万点もの植物を発見して、それらの名付け親になった人物です。この富太郎と肩を並べる天才が、コケの分野にも存在します。宮崎県日南市出身の服部新佐です。
東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物学科へ進学した新佐は、顕微鏡で覗いたコケの美しさのとりこになります。大学院を卒業後、東京科学博物館(現・国立科学博物館)でもコケの研究に当たりました。
その後、彼は父の願いを渋々受け入れ、帰郷して家業を継ぎますが、このとき交換条件としたのが、小さな研究所をつくり、家業の傍らコケの研究を続けることでした。こうして新佐は、世界唯一のコケ類専門研究機関「服部植物研究所」を設立。終戦の翌年のことです。
日本には約2千種のコケが存在するそうですが、当時の日本のコケ研究は、欧米より100年は遅れているといわれており、海外の研究者が来日しては採集して持ち帰り、新種として発表していました。
こうしたなか、新佐はまず南九州に分布するコケ類の種類を明らかにすると、調査範囲を広げ、日本をはじめアジアに分布する多くのコケ類の体系を完成させたのです。
昭和27年、かねて親交のあった高木典雄・名古屋大学教授から植物の標本が届きました。北アルプスの餓鬼岳で採集した未知の植物がコケではないかと言うのです。新佐が顕微鏡で覗くと、確かにコケのように見えますが、その特徴はコケとは異なっています。「これは一体なんじゃもんじゃ?」ということで、「ナンジャモンジャゴケ」と名付け、研究所の標本庫に納めました。
4年後、今度は白馬岳で同じ植物が見つかりました。この得体の知れない植物の研究を重ねた末、新佐はついに造卵器と呼ばれるコケ類特有の生殖器官を見つけます。そうです、新種のコケと判明したのです。昭和33年、服部植物研究所は”ナンジャモンジャゴケ”と正式に命名し、世界に向けて発表しました。
その後、ナンジャモンジャゴケは北海道、ヒマラヤ、ボルネオ、北米などでも発見され、服部新佐の偉業は、世界のコケ研究者たちの間で「20世紀最大の発見」と称えられました。欧米のコケ研究に大幅に立ち遅れていた日本で、この偉業が成し遂げられたことは、感慨深いですね。