たび重なる家族の身上から布教所長として恩返しの道へ 小川弘さん – 信心のよろこびスペシャル
北海道函館市の小川弘さん(75歳・彌生分教会北生布教所長)は信仰初代。妻・昌子さん(79歳・同夫人)と結婚したのち、自身の大病を奇跡的にご守護いただいたことを機に教えを知る。その後、表具屋の経営者兼職人としての仕事に追われるなか、息子・剛一さん(48歳・同布教所教人・札幌市)の身上を通じて徐々に信仰を求めるようになる。やがて、自身と剛一さんに再び大きな身上を見せられ、布教所長を務める心を定めた。今年2月、布教所長に就き、毎日のように所属教会へ足を運んで御用をつとめる傍ら、にをいがけ・おたすけに励んでいる。たび重なる家族の節を乗り越え、お道の信仰に引き寄せられた小川さんが、いま感じる“信心のよろこび”とは――。
「親神様の思召でお道の信仰に引き寄せられ、これまで折々にお手入れを頂いてきた。この教えがあったからこそ、いま幸せを感じることができる」
午後2時、所属教会でおつとめを勤めた弘は、神殿掃除に取りかかる。白衣をまとい、布巾を手に鳴物や神殿上段を丹念に拭き上げていく。掃除を終えると、深々とぬかずいた。
信仰に向き合う手引きとして
函館市内の未信仰家庭に生まれた。中学卒業後、建具職人だった父親の背中を追うように自身も職人を目指し、表具屋に弟子入り。5年間の修行を経て、兄と共に独立した。
25歳のとき、昌子と結婚。内装を取り扱う会社「小川表装」を興した。当時、日本はビニールクロスの壁紙が流行し、仕事の依頼が殺到。経営は軌道に乗り、息子・剛一も生まれるなど、順風満帆な人生に見えた。
そんななか、29歳のとき突然の下血で意識不明の状態に。緊急搬送された病院で、「十二指腸潰瘍」による多量出血であることが分かり、2千㏄の輸血を伴う大手術を受けた。
「よく生きたな」。病室で目を覚ましたとき、医師がかけた言葉だった。
「意識を取り戻してから自分の身に起きたことを知った。そのとき初めて、妻が天理教の教えについて話してくれた」
弘が生死の境をさまよう間、昌子が教会でお願いづとめを勤めていたと聞き、「親神様の存在を感じた」。そして弘自身も、お道の信仰に興味を持った。
5年後、当時6歳の剛一が末梢神経の異常によって引き起こされる「ギラン・バレー症候群」を発症。一時は歩けなくなるまで症状が悪化した。
「まだ小さいわが子が――」
家族の節に直面した弘と昌子は、青井榮子・彌生分教会前会長(故人)に相談したうえ、昌子を所長として北生布教所を開設。弘は別席を運ぶ心を定め、仕事の合間を縫っておぢばへ帰った。
こうしたなか、剛一の身上は徐々に快方へ向かう。
「思えば、私と息子に身上を見せていただいたのは、一家で信仰の道を歩ませてやりたいという親神様の親心による手引きだったのだろう。しかし当時は、仕事が多忙を極め、お道と真剣に向き合わなければと思いながらも、自ら教会へ足を運ぶことができていなかった」
ご守護に気づき心を入れ替え
数年後、16歳になった剛一が再び「ギラン・バレー症候群」を発症した。
「仕事が忙しいことを理由に信仰を疎かにしていたことを反省した。親神様にすがる思いで自分にできることを考えたが、何をすればいいのか全く分からなかった」
そのとき、榮子会長が十二下りのおてふりの修練を勧めてくれた。
息子の身上のたすかりを願い、少しずつ修練を続けるなか、剛一の症状は薄紙をはぐように回復。親神様のお働きを感じ、再び感激した弘は、仕事の都合をつけて修養科を志願。以後は、所属教会の月次祭におつとめ奉仕者として参拝するようになった。
こうしたなか4年前、自身の「前立腺がん」が発覚。手術で摘出したものの、3カ月後、新たに「腎臓がん」と診断された。体は日に日に衰弱し、思うように動かせなくなることに不安と焦りを感じた。
そんな弘を支えたのは、昌子をはじめ青井清人会長(57歳)と理惠夫人(54歳)、そして教会につながる信者たちだった。
「人間思案が先に立ち、職人として培ってきた技術や経験が失われることが恐ろしかった。しかし、妻から諭されるうち、これまでさまざまな節の中も親神様・教祖から大きなご守護を頂いてきたことに、あらためて気づかされた。ここで心を入れ替え、いまから恩返しをさせていただかなければと思った」
弘は長年経営してきた会社を畳むことを決断し、2度目の修養科を志願。修了後、手術で摘出した腎臓の腫瘍からがん細胞は検出されず、不思議なご守護を頂いたことを身をもって知った。
たすかりたいからたすけたいへ
昨年2月、札幌で働く剛一の頭と背中を激しい痛みが襲った。病院で検査を受けたところ、「肺腺がん」を発症しており、「すでに、ほかへ転移している」と告げられた。
「息子は、もう長くは生きられないかもしれない」
4年前の自身に続く息子の大節に直面し、心を倒しそうになる一方で、弘の目は親神様のほうを見据えていた。
「これまでの節には、すべて親神様の深い親心があったではないか。このたびの節には、どんな思召が込められているのだろう……」
夫婦で談じ合いを重ね、青井会長夫妻とも相談のうえ、“一家の柱”である弘が布教所長となり、さらなる成人を目指して信仰実践に努める心を定めた。
以後、毎日のように教会へ足を運び、たすかりを願う一心で神殿掃除などの御用に尽くした。
一方、教会では8月12日から3日間、信者が参集して剛一のたすかりを願うお願いづとめが勤められた。
こうしたなか、治療の結果、剛一は1カ月で退院することができた。その後の検査で、転移したがんの進行が止まるというご守護を見せられた。
「この大節を通じて、会長さん夫妻をはじめ、教会につながる信者さん方のおたすけの心にふれ、本当に有り難く、信仰することの喜びを実感した。そして、これまでは、たすけてもらいたいとばかり思っていた心が、人さまにたすかっていただきたいと思えるように変わった」
その後、教人資格講習会と教会長資格検定講習会を受講した弘は今年2月、布教所長に就任。現在も毎日のように教会へ足を運ぶ傍ら、地域住民のおたすけに励み、毎月の教会のにをいがけ実動日には100枚のリーフレット配布を続けている。
現在、来年11月に迎える洲本大教会の創立130周年記念祭に向け、一人でも多くの人をおぢばにお連れするため、さらなる実動を企図しているという。
教祖140年祭に向けての目標は、「年祭当日に、家族揃っておぢばへ帰参すること」。
「たび重なる家族の身上を通じて、親神様のご守護によって生かされている日々がどれほど有り難いことなのか、『かしもの・かりもの』の教えがいかに大切なものなのかを実感した。私自身の信仰は、まだまだ“駆け出し”であり、分からないことも多いが、妻の助言と会長さん夫妻のお導きを頂きながら、親神様・教祖のご恩にお応えし、お喜びいただけるような布教所長を目指したい」
(文中、敬称略)
文・写真=加見理一