お道らしい「礼儀正しさ」考 – 視点
「礼儀正しさ」の重要性が近年、世界的に見直されているという。
2019年刊行の『Think CIVILITY――「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(クリスティーン・ポラス著・東洋経済新報社)では、米国の職場における社員の「無礼さ」が与える影響などについて、20年にわたる研究成果がまとめられている。本書によると、一流のエリートは職場で不機嫌にならず、礼節を欠くことなく結果を残すという。礼儀を欠く人の存在が職場に大きなストレスを与え、その結果、パフォーマンスの低下を招いているそうだ。
たとえば職場のストレスにより、アメリカ経済にかかるコストが年間5千億ドルに上るとされる。また、米国の多くの企業では、社員間の人間関係の修復や、無礼な人への悪影響に対応するために、年間7週間を費やしていることなどが分かっている。礼儀をわきまえない人が組織内に増えると、それだけマイナスが大きくなることが数値化されており、礼儀正しい振る舞いのできる人材が求められているのだ。
辞書で「礼儀」の意味を引くと、「社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節」とある。
お道の視点から考えれば、まず第一に、かしもの・かりものである身体と、親神様の十全の守護によって生かされていることを知り、その自由自在のご守護に感謝し、御礼申し上げる日々を通るということが肝心であろう。
また「互い/\礼言うように成りてみよ。不足ある。丹精する。不足ありて丹精と言えるか。日々丹精という理に成りてくれ」(おさしづ明治32年10月1日)とある。家庭にあっても職場にあっても、関わる人たちとの人間関係の中で、お互いに礼を言い合えるようになることが大切だ。相手に不足させないことが、ひいては、その人を育てることにもつながり、本当の丹精が充実するとお諭しくだされている。
「相手あってこその自分」という謙虚な姿勢を、いつまでも持ち続けたいものだ。
(永尾)