天理時報オンライン

次のステージへとステップアップ


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町田一隆(縣東分教会長・41歳・群馬県太田市)

教祖百二十年祭に向かう三年千日と、年祭の年を丸々おぢばで伏せ込ませていただき、結婚を機に、7年にわたった少年会本部勤務を辞退して教会へ戻りました。翌年には、長年滞っていた神殿と教職舎の普請の段取りがとんとん拍子に進みました。

結婚、普請、そして長男の誕生と、すべて順風満帆と思われた矢先、大きな節がありました。当時会長であった父が、脳内出血で倒れたのです。

たくさんの方の真実のおたすけにより、父は意識を取り戻しました。しかし、容体が落ち着いてきたと思いきや、今度は重い肺炎にかかり、再度入院。教会の芯である会長の重ねての身上に、成人の鈍い私も、このままではいけないと思案しました。

病室にいて、おつとめの音も聞けずにいる父に、拍子木の音だけでも届けたいと思い、教会から病院、そして病院の周辺を神名流しさせてもらおうと決意し、毎日実行しました。

父の身上を通して、先に完成した形に見合う心のふしんを、わずかでも進めることができたと思います。私たちの心の向きが定まるのを待っていたかのように、父は、家族に見守られながら出直しました。

その後も、毎日神名流しに出ようと心を定め、外出の際にはハッピと拍子木を必ず持つようにし、休むことなくつとめました。

そうして外に向けて動きだしてからは、どんどん不思議が現れ、教祖百三十年祭への仕上げの年には1年間で200人余りの方におぢばへお帰りいただき、初席者も20人お与えいただきました。さらに、普請から10年後には、教会が手狭になってきたとの声が上がり、ありがたくも神殿、教職舎を増築することができました。

教祖百四十年祭三年千日に入る直前の昨年12月、新型コロナウイルスに感染し、一日も欠かさず続けてきた神名流しを休まざるを得なくなりました。親神様から、年祭活動に入る前に一度立ち止まり、前の年祭と同じところにいるのではなく、次のステージにステップアップできるよう思案しなさいとのメッセージを頂いたように思います。

教祖百四十年祭へ向けて、これまでおぢば帰りされた方たちに、繰り返し帰参してもらえるよう声を掛け、心を掛け、さらにはよふぼくになり、人だすけのできる人材へと成人してもらえるよう丹精させていただきたいと思います。そのためには、まず私自身が育つ努力を怠らず、徳積み、理づくりに日々つとめ励ませてもらいたいと思います。