喜びのプレゼント – 道を楽しむ12
2023・8/9号を見る
【AI音声対象記事】
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とあるテレビ番組が目に入った。知り合いの誕生日に、「喜び」をプレゼントしたいという企画のバラエティー番組だった。
某お笑いタレントが出演者に「自分の大事なものを失くすと相当焦り、悲しみますよね?」と語りかけ、「その失くしたものが戻ってくると喜びますよね?」と尋ねる。この問いに出演者が頷くと、気持ちの推移をグラフにしたものを見せ、「失くす前より戻ってきた後のほうがテンション上がっているんです」。つまり、大きな喜びが得られると説明したのだ。さらなる検証として、実際に誕生日を迎えた数人の芸能人をターゲットに、スマートフォンなどの大事なものを隠しては返し、戻ってきたときの喜びがプレゼントなのだとネタ明かしをした。
「なんじゃこりゃ?」とツッコミを入れながら、私は半ば呆れた気持ちで画面を眺めていた。しかしそのうち、この裏には、単に笑い飛ばせない奥深いものがあることに気づく。
私たちが神様から見せられる身上お手入れは、まさに健康という大事なものを失くした姿であろう。そのお手入れをご守護いただいたときの喜びは、言うまでもなく大きい。それは元の状態に戻っただけなのに、このうえなく嬉しい。よしんば百パーセント戻らなかったにせよ、ご守護と受けとめれば大きな喜びとなる。
毎年、夏が来ると思い出す。当時、高校1年生だった長男が、重度の熱中症に倒れたあの日から8年が経つ。医者は「極めて危険な状態」と言い、生死の渕に立たされた長男。どんな姿でもいいから、なんとかたすけていただきたいと必死に祈った。おかげで命をつないでくださり、多少の後遺症はあるものの、いまも元気な体で教会本部にて勤めている。
お手入れを通して、親である私も、わが身を振り返って深く反省した。長男本人も、自分の進むべき道を自覚することができた。お手入れに込められた思召は、件のテレビ番組の意図とは違い、遙かに深い喜びであることに留まらない。私どもの心得違いを気づかせ、また、何ごともなく過ごしている日々が、どれだけ有り難いかを悟らせてもらった。
失くして初めて気づく神様の大恩。大事なものを失くす前に、感謝の気持ちを日々忘れてはならない。
中田祥浩 花巻分教会長