「またあした!」- 成人へのビジョン19
2023・11/8号を見る
【AI音声対象記事】
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「先生、『またあした』っていうのは、天理教用語なんですか?」と修養科生。聞けば、修養科から詰所へ戻る際に、会う人ごとに「またあしたー」と声をかけられるので、しまいに「はて、これは何かしらの天理教用語かもしれん」と思ったとのこと。彼から受けたさまざまな質問の中でも、私の一番のお気に入りです。
私たちは生きるために、さまざまなものを食べる必要があります。タンパク質、炭水化物、糖分、塩分、ビタミン……数え上げればきりがない栄養素。人は生きるのに必要なそれらを自分で作り出すことができません。世界から取り込む必要がある。だから、食べて、エネルギーを得、血肉とし、排出する。それが「私」の体を形づくっています。
同じように、私たちはたくさんの言葉を食べています。赤ちゃんは、聞こえてくる言葉を自分の中に取り込んで言葉を覚えます。それが日本語なら日本語、英語なら英語、タガログ語ならタガログ語。人は置かれた環境の言葉を身につけます。周りの言葉を耳で食べ、心で消化・吸収しているのです。それは次第に、“私の心(世界観)”をも形づくっていきます。
言葉は食べ物です。だから心に良いものもあれば、悪いものもあります。あいさつ、感謝、満足、不平、不満、愚痴……それらは栄養素(もしくは毒素)のように、取り込むとさまざまな作用を及ぼします。
言葉は相対的なものです。善悪どちらか一方だけを知ることはできません。しょっぱさが甘さを引き立てる。スパイスもないと寂しい。人は酸いも甘いもさまざまな言葉を食べて成長していく。大切なのは、そのバランスです。
「体は食べたものでつくられる。心は聞いた言葉でつくられる。未来は話した言葉でつくられる」といいます(北原照久)。言葉は私たちの生の肥やしになり、痩せ細らせもする。「声は肥」なのです。
冒頭のエピソードは、教祖が怠け者の作男に、いつも「御苦労さん」と優しい言葉をかけ続け、のちに人一倍の働き手になったという逸話を思い出させます。彼が受け取った言葉もまた、肥となって心を養ったに違いありません。
またあした。それはきっと「あすもまた、あなたに会いたい。会えますように」という祈りの言葉なのです。