つとめとさづけと神名流しに徹し 現地の人の心に誠真実で寄り添う – シリーズルポ「布教の現場から」年祭の旬に道を世界へ
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台湾で23年にわたり布教を続ける
淺井洋昭さん(50歳・廣龍分教会龍灣講(りゅうわん)講元・台北市)
台湾の地で23年にわたり、にをいがけ・おたすけに励む布教師がいる。淺井洋昭さん(50歳・廣龍分教会龍灣講講元・台北市)は、天理高校吹奏楽部時代にアメリカ・ローズパレードで演奏したことをきっかけに海外への憧れを抱き、大教会青年などを経て、27歳のとき単身渡台。病院でのおたすけや日本語教室の教師を務める中で出会った人々をおぢば帰りへ誘うなか、17年前、台北市内に「龍灣講」を開設。同市随一の問屋街である迪化街(ディーホアジエ)で神名流しを毎日続けながら、台湾伝道庁の御用もつとめている。2022年2月に妻の弘恵さん(42歳)と結婚してからは「皆が仲良く、陽気ぐらしに向かって一手一つに勇める場所をつくりたい」と、二人三脚での台湾布教に拍車を掛けている。2023年12月、龍灣講の月次祭に合わせて現地を訪れ、夫妻の”布教の現場”に密着取材した。
「よろづよのせかい一れつみはらせど」
2023年12月2日午前10時、迪化街(ディーホアジエ)。19世紀中ごろから商業地として発展し、現在も漢方薬や乾物などの露店が並ぶ問屋街で、天理教の文字が入った紫色のベストを着用した淺井さん夫妻が神名流しに勤しむ。その道中、多くの店番たちが淺井さん夫妻に話しかけてくる。
「神名流しを長年続けるなか、いまでは『頑張って』と応援したり、手を振ったりしてくれる人もいる。天理教の存在を知り、受け入れてくださる方々がたくさんいると肌身に感じる」と洋昭さんは話す。
「できる限りを尽くす」心を定めて単身渡台
広島市にある教会で長男として生まれた。天理高2年生のとき、吹奏楽部員として米国カリフォルニアで開かれたローズパレードに出演。「いつか、いろいろな国を見て回りたいという夢を持った」
卒業後、天理大学別科(当時)で中国語を学び、台湾へ3年間留学した。
帰国後、郡山大教会で伏せ込むなか、青年づとめを共にする教会長後継者の信仰姿勢や布教体験の話に感化された。以来、自らにをいがけに出るようになり、「単独布教したい」との思いが芽生える。
青年づとめを終えたのち、保安室境内掛で勤務。その中で、髙井猶久・保安室長(当時・故人)の海外経験を繰り返し聞くうちに、海外布教への思いを強めていく。
「自分には中国語という”武器”がある。単独布教地は台湾だ!」
2000年、「自分のできる限りを尽くして、布教に打ち込む」ことを心に定め、単身渡台した。
まず、以前の留学中にお世話になったホームステイ先を訪ねたところ、宿泊場所を提供してくれた。「親神様が『これから勇んで取りかかるように』と、背中を押してくださったように感じた」
早速、台北市内の公園で布教を始めたが、思うような成果が出ない。「このまま何もできずに帰国するのか――」。そんな焦りが頭をよぎるなか、思いついたのが病院でのおたすけだった。
宗教に寛容な国柄もあって、病室でおさづけの取り次ぎを受けてくれる患者は少なくなかった。さらに「別の病院に親族が入院しているから祈ってほしい」と請われるようになり、2年後には市内すべての病院を回るまでになった。
こうしたなか、生後間もないころから度重なる病気に心を落とし、生きる希望を失っていた蔡榮益(ツァイ・ロンイ)さん(42歳・別席運び中)と出会う。
「自分に何ができるか分からないが、これから毎日、彼の元へ通い、心のたすかりを願おう」と誓う。
洋昭さんは、榮益さんに根気よく寄り添い続け、退院後も榮益さんが暮らす叔母の蔡世珍(シーヂェン)さん(67歳・同)の家へおたすけに通った。
こうして2002年、蔡さん一家が初めておぢば帰りを果たし、初席を運んだ。
翌3年、洋昭さんは蔡さん宅で生活を共にするように。榮益さんの面倒を見ながら病院を回った。
いまではすっかり明るさを取り戻した榮益さん。世珍さんは「夢も希望も持てなかった甥のために、淺井さんはいつも優しく接し、生きる力を与えてくれた。淺井さんと出会ったことに、親神様のお引き寄せを感じた」と述懐する。
おつとめとおさづけがあれば大丈夫と夫婦で
3日は講の月次祭。朝からようぼく・信者が次々とやって来る。
講は6年、迪化街に近いビルの4階に開設。ここに拠点を設けるまでには、講の最初のようぼくである方仙翌(ファン・シェンユウ)さん(78歳・ようぼく)の尽力が欠かせなかったという。
3年、世珍さんから紹介された方さんの夫は、脳溢血による全身不随で寝たきりの状態だった。洋昭さんは方さん宅へ欠かさず通い、おさづけを取り次いだ。
2年半後に夫は出直したが、闘病中、親身に尽くす洋昭さんの姿に感激した方さんは、伝道庁の朝づとめに日参するように。そして「いつか布教拠点を」という洋昭さんの思いに賛同し、友人が所有するビルの空き部屋を拠点にするよう提案した。
やがて修養科中国語クラスを志願し、ようぼくになった方さん。「夫は出直したが、闘病中に数多くの不思議なご守護を頂いた。いまも感謝の心でおたすけやひのきしんに取り組んでいる」と笑顔を見せる。
午前10時、12月月次祭が始まる。おてふりを勤める王淑卿(ワン・シュチン)さん(66歳・教人)は、方さんに次いで、ようぼくの仲間入りを果たした。
5年、洋昭さんが教師を務める日本語教室で天理教の存在を知った。他宗教の人とも関わりがあり、かねて、良くも悪くも”立場が人を変える姿”を幾度も見てきたが、洋昭さんには異なる印象を受けた。
「淺井さんは、出会ったときから変わらず優しく低い心で接し、皆と同じ場所で同じ食事を口にする。その姿に、共に楽しみ喜ぶお道の心を見る思いがした」
一方、力いっぱい拍子木を打ち鳴らす陳寶緣さん(64歳・別席運び中)も日本語教室の生徒。洋昭さんの人柄に惹かれて教えに興味を持ち、たびたび月次祭に参拝するなか、陳さんの姉の尿管に腫瘍があることが分かった。洋昭さんが毎日おたすけに通ったところ、腫瘍が消えるという不思議なご守護を頂いた。以後、陳さんは感謝の心で月次祭参拝を続け、教えを学んでいる。
陳さんは「お道の教えを知る中で、淺井さんの一貫した姿は”誠真実”によるものと分かった。これからも、その信仰姿勢を見習いたい」と語る。
◇
月次祭が終わると、直会が始まる。笑顔で語り合う信者たちの姿を見て、洋昭さんは「理想とする拠点の姿に、最近ようやく近づいてきたように思う。その背景には、信者さんの悩みに気づき、信者さん同士をつなぐ役割を果たしてくれる妻の働きが大きい」と話す。
2023年2月、洋昭さんは弘恵さんと結婚。長年、単身で布教に励んできた洋昭さんにとって、「女性ならではの気づきに感心することばかりで、いつも背中を支えてくれる存在だ」と、弘恵さんの内助の功を強調する。
弘恵さんは「言語の壁があっても、おつとめとおさづけがあれば大丈夫だと思い、異国での生活に心配はなかった。夫婦で台湾に陽気ぐらしの教えを広めていけるよう、自分にできることに精いっぱい努めたい」と笑みを浮かべる。
◇
台湾に渡って23年。地道に蒔いてきた種が芽生えていき、現在、講には教人4人、ようぼく11人、信者31人がつながっている。なかには台湾女子青年委員長、台湾学生会委員長を務めた人もいる。
「この地に来てからの道中は、親神様・教祖が、いまの自分に見合った成人の目標を一つひとつ与えて、お連れ通りくださったもの。”心定めと、熱い思いと、ちょっとの勇気”を持って一歩を踏み出せば、親神様がすべて準備してくださることを実感している」
1年更新の布教ビザで、にをいがけに勤しんできた洋昭さん。いま更新したてのビザを手に、次の1年も布教に邁進する誓いを新たにしている。
「『自分のできる限りを尽くす』思いで毎年、全力で通ってきた。とりわけ今は、教祖年祭活動の旬。気を引き締め、にをいがけ・おたすけに励み、この龍灣講を、皆が仲良く、陽気ぐらしに向かって一手一つに勇める場所にしていきたい」
文・写真=加見理一
プロフィール
【あさい・ひろあき】
1973年生まれ。2000年に単独布教を志して渡台し、6年に「龍灣講」を開設。22年に結婚し、現在は二人三脚で布教に励む。
また、講や台湾伝道庁などで日本語教師を務め、毎年、生徒をおぢば帰り団参へ誘っている。
布教の傍ら、留学時代から少年会台湾団鼓笛隊の指導者となり、3年には鼓笛隊再結成の立役者として尽力。その後、少年会台湾団の副団長を務め、昨年10月、団長就任。また台湾学生担当委員会の委員などを通じて、台湾の道の子弟育成にも力を注いでいる。