第6回「おつとめ」- 輪読会「いつもの暮らしに『諭達』の心を」
2024・1/31号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
第17期読者モニターアンケート企画
「諭達第四号」のお言葉をもとに、読者モニターたちが自身の体験や考え方を交えながら、三年千日の歩み方について語り合う輪読会。第6回のテーマは「おつとめ」。「諭達」の中で、ようぼくは「身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い」と示される。元日の大地震、世界で相次ぐ紛争や戦争など、さまざまな事情を見せられるなか、ようぼくお互いはおつとめを勤めて、難渋を抱える人々のたすかりと事情の治まりを願うことが肝心であろう。そこで、今回は「おつとめ」にまつわるエピソードを、読者モニターに寄せてもらった。
節に際しての心定めと実践
髙橋ひろみさん
54歳・船三咲分教会教人・天理市
3年前、乳がん検診で異常が見つかり、臨床試験を受けることになりました。その日の夜、本部神殿でおつとめを勤めました。そして、これまでの自身の心得違いをお詫びしつつ、「もし、がんでなかったら、神様の御用をさせていただきます」と誓い、にをいがけとひのきしんの実践を心に定めました。
二日後、臨床試験の結果、「異常は見当たらない」とのこと。その後も再検査を繰り返し、最初の検診から1年半後に「異常なし」と診断され、現在に至っています。
この節を通じて、おつとめと心定めの大切さを実感するとともに、教えの実践を通じて、親神様は大難を小難、小難を無難にお連れ通りくださると学ばせていただきました。
教祖140年祭三年千日の2年目に入りました。いま元気に過ごせていることに感謝して、にをいがけとひのきしんの実践に努めたいと思います。
母から受け継いだ“宝物”
山根博子さん
69歳・愛松分教会教人・兵庫県明石市
私にとっておつとめは、亡き母から受け継いだ“宝物”の一つだと思っています。
母は95歳で出直すまで、熱心に信仰していました。私と姉が幼いころ、おつとめの手振りを何度も教えてくれました。地歌に合わせ、「この手振りでは、幸せがこぼれないように手をしっかり揃えるんだよ」などと、子供にも分かりやすいたとえを用いながら、いつも優しく教えてくれたのです。いまでもおつとめを勤めると、ありし日の母の姿とともに、子供のころの穏やかな記憶がよみがえります。
もうすぐ古希を迎えます。朝夕のおつとめで、健康への感謝を申し上げるとともに、世界中の人たちが幸せになりますようにと祈る日々です。
このおつとめがあったから、今日まで豊かな気持ちで生きてこられたように思います。母への感謝の心でいっぱいです。
祖母の信仰姿勢を思い出し
大谷吉輝さん
42歳・芦住分教会教人・佐賀県白石町
小さいころから、朝夕に所属教会へ日参する祖父母と両親の背中を見て育った。しかし、成長するにつれて教会から次第に足が遠のくようになった。そんな私を変えたのは、祖母のおつとめに対する態度だった。
祖母は、畑仕事などでどれほど忙しくても、夕づとめの時間になると必ず農作業を切り上げ、教会へ足を運んだ。祖母が出直した後、事あるごとに、なぜか祖母の熱心な信仰姿勢を思い出すようになった。以後、悩みごとがあるときなどは、祖母の姿をまねて教会へ足を運び、おつとめを勤めるように。すると、自然と心がほっと休まるような気持ちになるのだ。
いまの私があるのは、信仰熱心だった祖母のおかげだと思う。祖母が残してくれたものを大切にして、これからもおつとめを勤め、陽気に過ごしていきたい。
たすかりを願える有り難さ
久保大士さん
26歳・本部直属田原分教会教人・天理市
親里で育った私にとって、おつとめはとても身近なものだった。朝夕のおつとめをはじめ、小学校から高校までの12年間は登校前に本部神殿でおつとめを勤めた。おつとめは、決まった時間に、家族や学校の仲間と一緒にするものという感覚があったように思う。
高校卒業後、県外の大学へ進学し、おつとめを勤める機会が少なくなった。こうしたなか、離れて暮らす身内や友人が病気になったり、体調を崩したりした。何かできることはないかと考えたとき、頭に浮かんだのはおつとめを勤めること。身上のたすかりを願って、部屋で一人、真剣におつとめを勤めた。
いまになって考えると、直接会えない状況で、人のたすかりを願っておつとめを勤めることで、親神様は必ずお働きくださり、ご守護を下さると確信した。その中で、私自身の不安も和らいでいったように思う。おつとめを教えていただいていることの有り難さを、あらためて感じた経験だった。
修養科から日々の実践10年
山本良徳さん
81歳・袖山分教会ようぼく・横浜市
10年ほど前、家族や自身の身上・事情が重なったことから、所属教会の会長に勧められて修養科を志願した。
高齢の身での修養生活に不安もあったが、クラスメートに励まされながら、無事に3カ月を通ることができた。また、朝夕のおつとめを勤め、祈りを捧げる毎日を送ることで、70歳という年齢で、遅まきながら、ようやく座りづとめを勤められるようになった。
修養科を了えてから、わが家の一日は妻との朝づとめに始まるようになった。今日一日、陽気ぐらしを心がけて通ることをお誓いし、夜は所属教会の夕づとめの時間に合わせて、一日を健康に通れたことへの感謝を込めておつとめを勤める。
日々おつとめを続けて10年。この間、家族や私の身上を、大難を小難にご守護いただいている。傘寿を過ぎたいま、誠に有り難い限りである。
おたすけの一歩は祈りから
川田真紀子さん
49歳・玉島ロスアンゼルス出張所長夫人・アメリカ
7年ほど前の年末、日本にいる母から、兄が肺炎のため意識不明となり、年を越せないかもしれないと電話がありました。突然の出来事に驚いたものの、親神様が必ずたすけてくださると信じていました。
実は以前、父が身上になったとき、十二下りのてをどりを毎日勤めてお願いし、奇跡的にご守護いただいた経験があったのです。
そこで、兄のたすかりを願い、一心にお願いづとめを勤めさせていただきました。すると、無事に意識が戻るという鮮やかなご守護を頂いたのです。
この二つの節を通じて、大きな事情をお見せいただく旬にこそ、ようぼくとして、人のたすかりを願って真剣におつとめを勤めることの大切さを強く感じます。
年祭活動2年目を迎え、朝夕のおつとめや月次祭のおつとめで人さまのたすかりを願いたい――。心を新たに一生懸命祈ることから、おたすけの一歩を踏み出したいと思います。
みんなのイチオシ
2023年11月8日号から2024年(立教187年)新年号までの紙面の中から、読者の関心が高かった“イチオシ記事”について、寄せられた感想を紹介する。
新企画 シリーズルポ「布教の現場から」年祭の旬に道を世界へ 淺井洋昭さん(立教187年新年号4・5面)
にをいがけに歩く中で、継続の難しさを痛感する。異国の地で長年布教を続けている淺井さんの「自分のできる限りを尽くす」という言葉に、私自身も気が引き締まる思いがした。
(20代男性)
初めは思うように成果が出なくとも、種を蒔き続ける信仰姿勢に感激した。年祭活動の旬に、もっと自分にできることはないかと考えさせられた。
(40代女性)
神名流しを地道に続けて現地に溶け込み、信者さんを導いていく過程は、まさに“継続は力なり”。これからも、ますますの活躍を祈りたい。
(60代男性)