花粉症の前史には – 世相の奥
2024・2/14号を見る
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毎年、花粉症になやまされてきた。今年も、新年そうそう鼻がぐずつきだしている。例年より、スギ花粉などの飛散がはやくなっているらしい。なんぎな話である。
私は十歳になる前ごろから、この症状をかかえてきた。年代は、1960年代のはじめごろになる。今から60年ほど前にさかのぼる。そして、そのころは、まだ花粉症という言葉が、あまり知られていなかった。
鼻に膿がたまる蓄膿症かもしれない。そううたがった母は、私を医者に見せている。小児科だったか耳鼻科だったかの記憶はない。いずれにしろ、私を診察した医者は蓄膿という見立てをしりぞけた。
この子は鼻の粘膜が敏感すぎる。ただ、それだけだ。蓄膿の場合は手術が必要になる。でも、この子に外科的な処置はいらない。くだんの医者は、私たちにそうつげている。
五月の節句をすぎるころになれば、私の症状はおさまった。蓄膿じゃないという医者の判断を、そのため母もうけいれている。そのかわりに、べつの疑いをいだきだした。
春先になると、鼻がつまりぐずぐずしはじめる。そして、鯉幟の季節になれば、快方へむかっていく。そんな状態がつづく息子の様子をながめ、母は考えた。また、私にも言いはなっている。
おまえはいくじなしだ。学年がかわって、新しいクラスへくみこまれることを、いやがっているんだろう。それで、毎年自家中毒をおこしているにちがいない。ただ、ようやく新しいクラスにとけこめたころから、症状はおさまる。そんな状態をくりかえしてきた。ほんとうに、ふがいない子だ、と。
鼻じたいに、外科的な異常はない。でも、過敏である。この診断を、母は精神的な脆弱性の徴候として、うけとめるようになった。そして、じっさいに弱虫だった私も、ひところはそう思いこまされていたのである。
今は、花粉症という症名や、アレルギーの一種であることが認知されている。母のように、心のもろさと関係づける人は、いなくなった。春先から鼻炎の人がふえることも、ひろく理解されている。私には、いい時代である。国民病となった現状をなげく声もあるが、私は胸をなでおろしている。蔓延したおかげで、いい薬がでまわるようになったこともうれしい。
井上章一・国際日本文化研究センター所長