ひながたを胸に前を向き被災地で今できることを 被災者の心に寄り添う“ようぼくのお菓子屋さん” – ヒューマンスペシャル
2024・3/13号を見る
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災救隊の宿営地として協力
石塚愛子さん
珠洲市の和洋菓子店「メルヘン日進堂」
代表取締役
被災地の和洋菓子店経営のようぼくが作るお菓子を通じて、被災者の心に寄り添う 。「令和6年能登半島地震」により甚大な被害に見舞われた石川県珠洲市で、自らも被災しながら、教祖ひながたを胸に前を向き、いま自分にできることに全力を尽くす女性教友がいる。大正2年創業の老舗和洋菓子店「メルヘン日進堂」の代表取締役を務める石塚愛子さん(46歳・手取川分教会教人)は、地震直後に近隣住人を自宅の2階へ避難させたほか、商品のお菓子を避難所へ届けた。また、災害救援ひのきしん隊(=災救隊)本部隊の出動に際して、災救隊の活動拠点に店舗を提供するとともに、救援活動に全面的に協力。さらに、2月からは店舗の一部を開放し、被災者にお菓子などを振る舞う「たすけ愛カフェ」をオープン。被災地の憩いの場、情報共有の場としても活用されている。「お菓子は喜びの輪を広げる“ツール(道具)”」と話す愛子さんが、いま思うこととは 。
地震発生の直後に 避難者を招き入れ
1月1日午後4時10分。夫・久士さん(52歳・同教人)と共に、実家へ発つ準備をしていたとき、突然、足元がグラグラと激しく揺れた。
「地震だ!」
地鳴りとともに建物が激しく軋む。しばらく続いた揺れが収まると、「大津波警報」のアラームが鳴り、すぐに海から津波が堤防を越えて押し寄せてきた。身の危険を感じた夫婦は、神実様を祀る自宅の2階へ避難。ベランダから外の様子をうかがうと、近所に住む家族3人が歩いて避難しようとする姿を目撃した。
「危険ですから、私の家に上がってください!」
愛子さんの呼びかけにより、住民が2階へ避難した直後、急激に水位が上がり、1階部分が完全に浸水。ライフラインが寸断されるなか、やがて水が引いた後も、ラジオを頼りに津波警報が解除されるまで、5人は身を寄せて夜を明かした。
翌2日、警報が解除されたため、外出して被害状況を確認。1階は泥にまみれ、車は流された。周辺の家屋は軒並み倒壊。警察や消防隊が人命救助の手を呼びかけていたため、久士さんは手伝いに加わった。
地震で何もかも失った――。心を倒しそうになるなか、愛子さんは自宅から離れた「メルヘン日進堂」の店舗に、年始セールのため大量の商品を準備していたことを思い出した。自身や家族が明日食べる物があるかどうか分からない状況で、愛子さんの心は地域の人々のほうを向く。
「お菓子によって、被災された人たちの心を和らげることができるかもしれない。いまこそ、これまで支えてくださった地元の皆さんに恩返しをするときだ」
余震が続くなか、注意して店舗へ赴くと、店内は物が散乱していたものの、建物の損傷は軽微で、商品は無事だった。
愛子さんは4日から近隣の避難所へお菓子を届け始めた。さらに、避難して散り散りになったスタッフに連絡を取り、各地の被災者にお菓子を提供した。
「地震で多くの物をなくしたが、教祖のひながたを頼りに前を向くことができた。困っている人にお菓子を配ることで、さまざまな物を施された教祖のひながたの一端をたどらせていただこうと思った」
喜びの輪広げる 働き方を心がけ
ようぼく家庭に生まれた。両親は菓子店の経営で多忙を極めたため、小学1年生のころから信仰初代の祖母・きよさん(故人)と夕食を共にし、おつとめの手振りや十全の守護などを教わった。大学生のころには、学生会の行事に積極的に参加するなど、自ら教えを求めた。
卒業後はスポーツクラブに就職したが、翌年に体調を崩して退職を余儀なくされた。これを機に、修養科を志願。親里であらためて教えを学ぶなか、十全の守護の精妙なお働きに感銘を受けた。
修了後、家業であるお菓子屋を手伝うことに。しかし製菓の経験がなかったため、たびたび両親から厳しい指導を受け、落ち込むことも少なくなかった。そんなときは決まって、当時の所属教会である北乃洲分教会へ足を運び、教会長夫妻に悩みを聞いてもらった。
平成24年、久士さんと結婚。このころには、店舗の責任ある立場を任されたが、「正直言って、楽しんで働くことができなかった」と振り返る。
その後、ふとしたとき「こんなお菓子をもらったら、喜んでくれるかもしれない」と想像しながら新しいお菓子のアイデアを考えたことがきっかけとなり、「人に喜んでもらうこと」を強く意識するように。以後、「働くことが楽しくなった。お菓子は喜びの輪を広げるツールになると感じている」。
令和元年、代表取締役に就任。愛子さんが「いままで出会った皆さんから着想を得ながら作った」という豊富な種類のバウムクーヘンは、地元をはじめ全国へも販路を広げている。
昨年5月の地震により、店舗が被災したため、店内を一部改装して12月に営業を再開。年始から催すセールに向け、大量の商品を準備して年越しを迎えた矢先の大地震だった。
「災救隊の隊員に 勇気をもらった」
珠洲市内の被害は深刻だった。自宅周辺はほとんどの家屋が全・半壊となり、道路を埋め尽くすほどの瓦礫が散乱。店舗周辺の電柱も折れ、道路は隆起した。
そんななか、店舗の被害が奇跡的に軽微だったことから、教区主事を通じて災救隊の活動拠点を店舗に設けられないか、と打診を受けた。愛子さんは、両親や所属教会長と相談を重ねたうえで、災救隊の活動に全面協力することを決めた。
こうして1月22日の本部隊第3次隊の出動から、珠洲市の宿営地として店舗が活用されることに。愛子さんは、全国各地から駆けつけた隊員にお菓子を差し入れたり、手書きのメッセージカードを手渡したりして、救援活動への感謝を伝えている。
「災救隊の皆さんが被災者のために心身を尽くしている姿に、私自身が勇気をもらった。復旧に向け一歩を踏み出すエネルギーを頂いた。本当に感謝しかない」
地震から1カ月後の2月1日、「メルヘン日進堂」は創業から111周年の節目を迎えた。この日、愛子さんは、地元住民への恩返しの思いを込めて、「長引く避難生活で苦しい思いをされている方のために、少しでも心が和らぐ場所を設けたい」と、「たすけ愛カフェ」をオープン。被災者の憩いの場、情報共有の場として店舗の一部を開放し、お菓子やコーヒーなどを無償提供している。
愛子さんは「このカフェは、確かな情報がなかなか手に入らない被災地で、いまどんな人が珠洲にいて、どんなことに困っているかという“住民の声”が集まる拠り所の一つになっている。また、被災して憔悴しきった人たちの心に寄り添うことで、地道なおたすけにつながると信じている」と笑顔で話す。
◇
取材当時(2月15日)、店頭には、地震の揺れに耐えたバウムクーヘンが、芯棒についた状態で置かれていた。バウムクーヘンとは、ドイツ語で「木のお菓子」という意味。これにちなみ、愛子さんによって「よふぼく」と名づけられたこのバウムクーヘンは、救援活動へのお礼として、災救隊の隊員たちに配られた。
「祖母がお道の信仰を始めなければ、いまの『メルヘン日進堂』はない。創業から今日まで、地域の人々をはじめ多くの人たちに愛されてきたのは、親神様のご守護の賜物。教祖140年祭へ向かう三年千日の旬に、地震という大節を見せられたことに、親神様の厳しくも深い親心があるのではと思わずにいられない。この節にも立ち止まることなく、前を向いて陽気ぐらしへと力強く歩んでいけるよう、“ようぼくのお菓子屋さん”として被災者の心に安らぎを与えられるよう、私にできるおたすけを続けていきたい」
文=加見理一
写真=山本暢宏
石塚さんのインタビュー動画をご覧いただけます。