人生を洗い直す3カ月の経験 – 視点
2024・4/17号を見る
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『少年会の歌』では、道の子供が教えを守り、陽気ぐらしに向かって立派なようぼくに育とう、と謳う。その歌詞の2番には「苦しい時も くじけずに 喜び勇んで 暮そうと 道の子みんな 肩くみあって」とある。生きていくうちには、明るく楽しいときだけでなく、つらく苦しいときがある。そのことを前提にした一節が入っていることが印象的だ。
考えてみれば、アニメ「巨人の星」の『ゆけゆけ飛雄馬』や歌謡曲『三百六十五歩のマーチ』など、試練を乗り越えてたくましく生きる“人生の応援歌”を、昔から老若男女は口ずさんできた。社会は豊かで楽に暮らせるように発展しているが、いつの時代も厳しさがなくなることはない。それを乗り越えて成長することは人生の基本で、これは子供も大人も変わらない。
陽気ぐらしを目指す本教の教えは、ただ自分が楽しく暮らす生き方を提示するものではない。むしろ、苦しい日々があっても、必ずたすけようとお導きくださる親神様・教祖の親心にもたれ、自らのいんねんを悟り、喜びを見つめて、心を入れ替えるよう説かれている。「ふしから芽が出る」と教えられるように、人生の節目は、そのときはつらくとも、幸せな人生への突破口なのである。
ところで、信仰によって生き方の転換を願う者が、陽気ぐらしをするための心づかいや行動を身につける場として修養科がある。親里での修養中、たとえば対人関係などで腹が立ったとき、授業で聞いたほこりの心づかいの説き分けをもとに自らを内省する。あるいは、心を定めて病気をご守護いただいた仲間の姿を目の当たりにして、親神様のご存在と教えの素晴らしさを実感するなど、授業で習った教理をクラス内や詰所生活の中でそのまま実践する。そんな生活をどっぷり3カ月間送ることで、心が生まれ替わっていく。ぢばの理を頂いて過ごす3カ月の体験は、人生のかけがえない財産となるのだ。
修養科は、陽気ぐらしを目指すようぼくを輩出し続け、今年1千期の節目を迎える。いわば人生を洗い直す3カ月の経験を、年祭活動の旬に、ぜひ味わってもらいたい。
(松村義)