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一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』90「一代より二代」
3月末、大教会の少年会総会が催され、中学校を卒業したばかりの姪と小学生の甥が、おつとめまなびの役割をつとめました。特に姪は、受験勉強の合間を縫って連日、母親である筆者の姉と三味線の練習に励んでいただけに、無事に出番を終えた後の、ほっとした表情が印象的でした。
思えば、いとこたちの中で最年長の彼女は、幼少のころから教会につながる子供たちの良き姉貴分として、少年会活動を引っ張ってくれました。長らく務めてくれた教会隊の隊長も、この春で卒業です。
高校進学の節目に際して、お祝いとともに、こんなメッセージを贈りました。「親神様の教えに『十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通り』という一節がある。このお言葉は、自分の言動に責任を持つきっかけになると同時に、お父さんとお母さんが、ようぼくとしてしっかり通ってきたおかげで、いまの自分があるという証しでもあると思うから、まずは両親に感謝を伝えようね」
家の信仰は私たちで4代目ですが、子供たちの人生の節目は、初代から受け継がれてきた信仰を次の代へ伝える大切さを再認識する機会でもあります。
総会からの帰りの車中、ふと後部座席を振り返ると、姪も甥もすやすやと眠り込んでいました。窓の外では、沿道を彩るサクラの花々が、春風に揺られています。
(榊)