被災者から支援者へ教友の協力を励みに – 被災地リポート「令和6年能登半島地震」
2024・5/29号を見る
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有志による支援活動の拠点として「珠洲ひのきしんセンター」を運営 – 北乃洲分教会・寶立分教会
「”ひのきしんさん”には本当に助けていただいて、感謝してもしきれない――」
2024年元日、最大震度6強の大地震に見舞われた石川県珠洲市。倒壊したままの家屋、いまだ続く断水……。地震の爪痕が色濃く残るこの地で、被災直後から、各地の教友有志の協力を得て活発な支援活動を続けている教会がある。
鹿島大教会部属の北乃洲分教会(矢田勝治会長)と寶立分教会(石橋雄一郎会長)は、地震発生7日後の1月8日、独自に「珠洲ひのきしんセンター」を開設。以後、同センターが教内外の支援者の受け入れ拠点となり、避難者の食事調理や被災家屋の解体作業など、精力的に支援を続けている。
活動開始から4カ月余り。本部月次祭の祭典日を除いてほぼ連日、支援活動が展開され、センターを拠点に支援活動に加わった人数は延べ4,000人を超えた。この取り組みは、地域住民の間で広く認知され、支援者らは”ひのきしんさん”の愛称で親しまれるなど、大きな信頼が寄せられている。
被災者から支援者へ――。全国から駆けつける教友の協力を励みに、おたすけの心で地域の復旧・復興に向けて全力を注ぐ「珠洲ひのきしんセンター」の取り組みを追った。
「地元の者としておたすけに」被災地に”陽気ぐらしの姿”を
5カ月で延べ4千人超が支援活動に駆けつけ
北乃洲分教会・寶立分教会運営の「珠洲ひのきしんセンター」
「ありがとうございました。また来ますねー!!」
「珠洲ひのきしんセンター」を拠点として支援活動を終えた教友たちは、そう言って笑顔で帰路に就く。
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1月1日、最大震度7の地震が能登半島を襲った。被害甚大な珠洲市では、建物の7割が倒壊。天理教の教会も例外ではなかった。
こうしたなか、比較的被害の小さかった北乃洲分教会(矢田勝治会長)と寶立分教会(石橋雄一郎会長)は、地震発生7日後の8日、有志による支援活動の拠点として「珠洲ひのきしんセンター」を開設。以来、教内外を問わず多くの支援団体を受け入れ、現在も精力的に活動を続けている。
センターの代表を務めるのは、北乃洲分教会の部内教会である手取川分教会長の矢田嘉伸さん(51歳)。教友を見送った矢田さんは、すぐさま別の支援団体と共に次の作業現場へ向かった。
「被災したからといって、”わが身思案”に溺れていると心が沈んでしまう。教祖140年祭へ向かう旬に、難渋に直面する人たちのおたすけに懸命に尽くしたい」
「今こそ道の者が動かなくては」と
“あの日”、矢田さんは北乃洲分教会にいた。幸い家族や住み込みの信者は全員無事で、皆で避難所に身を寄せた。食事や睡眠もままならないなか迎えた3日朝、一般災害ボランティア団体「愛知人」のメンバーが避難所に駆けつける。
「愛知人」は2023年5月、震度6強の地震が発生した際にも珠洲市へ急行し、3カ月間にわたって支援活動に尽力。そのとき矢田さんは「愛知人」のメンバーと共に支援活動に従事していた。
避難所に到着した「愛知人」のメンバーは、すぐに炊き出しの準備に取りかかり、矢田さんも作業を手伝った。地震発生後は心が沈んでいたが、支援活動に力を尽くすメンバーの姿を見て「スイッチが入った!」。
「今こそ道の者がおたすけに動かなくては」と。
以後、矢田さんは孤立避難所や自主避難所の情報収集に着手。自らの足で孤立地域に分け入り、市内の隅から隅まで駆け巡った。
一方、寶立分教会のもとには1月3日、支援物資を持った教友が到着。道路状況が不明な中も駆けつけてくれた教友の姿に、会長の石橋雄一郎さん(58歳)は「有り難いのはもちろんだが、ただただすごいと驚くばかりだった」と振り返る。
寶立分教会は被災後も電気が使え、井戸水があったことから、支援者を受け入れられる状況にあった。そこで、支援物資を教会で預かり、各避難所へ配布する活動を始めた。
それぞれが支援活動に動き出すなか、矢田さんと石橋さんは、駆けつけた教友らと共に今後の動きについて相談。そして「地元の者として、おたすけをさせていただこう」との強い思いを胸に、「珠洲ひのきしんセンター」を開設。すぐにホームページを設け、矢田さんが代表として作業現場との折衝を担い、石橋さんが事務局長として支援団体の受け入れに当たる態勢を整え、活動をスタートした。
必要な時に必要な人や物が与わって
当初の主な活動は、避難者の食事調理。広い部屋にブルーシートを広げて調理を行い、現場へ届けた。
同センターの取り組みはSNSなどで拡散され、ホームページには連日、教会や支部、個人からの支援の申し出が寄せられた。たすけの手を差し伸べる教友と、支援を求める被災者をつなぐ活動は多忙を極めたが、両教会の信者がスタッフとして懸命に努めている。
毎日、教会へ足を運ぶ川東敬子さん(52歳・北乃洲分教会教人)は「不安いっぱいの避難生活を続けていたが、何か動かなくてはとお手伝いすることを決めた。おたすけの精神で全国から駆けつけてくださる教友の姿に心を動かされ、私も少しずつ元気を取り戻している」と話す。
その後、1月16日に災害救援ひのきしん隊本部隊が珠洲市へ出動する際には、現地の情報を提供するなどして活動に協力。また、2月3日に珠洲市でボランティアセンターが立ち上がってからは、同市社会福祉協議会と連携を図りながら、被災家屋の”災害ごみ”の搬出や貴重品の回収などの作業も担うようになった。
必要な支援物資などの情報は、ホームページに随時アップ。これを見た支援者から物資が寄せられ、なかには重機や仮設トイレを届ける人もいたという。
取材に訪れた当日、作業内容について矢田さんと相談していたのは、埼玉県から駆けつけた中嶋秀浩さん(52歳・豊一分教会長)。矢田さんたちの姿に感銘を受け、当初から活動をサポートしている。
「センターの皆さんは、来てくれた人に喜んで帰ってもらおうという思いで受け入れをしておられる。私も、少しでも力になれたらと思って」
センターの立ち上げから4カ月半にわたり活動が続けられていることについて、石橋さんは「必要な時に必要な人や物をお与えいただく毎日に、親神様のお働きを感じずにはおれない。センターに来た人たちは皆、困難に直面する人の役に立てたと喜んで帰っていかれる。その姿に、お道の人の素晴らしさをあらためて感じている」と語る。
“ひのきしんさん”と地域に親しまれ
現在、センターでは支援者の宿泊拠点を4カ所設けている。これまでの支援者は延べ約600団体、約4千人に及ぶ。支援内容も、食事調理や被災家屋での作業のほか、仮設住宅への慰問、被災した子供たち対象の運動会など多岐にわたる。
こうした取り組みは市内で幅広く認知され、住民からは”ひのきしんさん”の愛称で親しまれているという。同市社会福祉協議会事務局長の塩井豊さん(59歳)は「当初から被災者に寄り添った活動を続けられている皆さんの姿に頭が下がる。時間が経つにつれて支援の手が少なくなることも懸念されるなか、センターの皆さんとは今後とも連携しながら支援を続けていければ有り難い」と話す。
矢田さんは「全国から駆けつけてくださる教友の存在が原動力となっている。形のうえで代表を務めているが、ここは支援の思いを持つ人たちみんなのセンターだと思っている。支援は長期にわたることが予想されるなか、被災地に”陽気ぐらしの姿”を映せるよう、求められる限り、これからも支援活動を続けていきたい」と語った。
文=島村久生
写真=嶋﨑良
「珠洲ひのきしんセンター」の取り組みを動画でご覧いただけます。