おやのことば・おやのこころ(2022年7月13日号)
六ッ むりにこいとハいはんでな
「みかぐらうた」十二下り目
いづれだん/\つきくるで
A君は熱心な信仰家庭の子弟。子供のころから教会へ通う陽気な青年です。数年前、仕事が多忙を極め、公私ともに心労が重なって心を倒し、教会から足が遠のいていきました。あんなに楽しみにしていた元旦祭にも顔を見せず、どうしたものかと頭を抱えていました。
元旦祭では、神様のお言葉を短冊にしたためたものを参拝者に引いてもらい、一年の指針にしてもらっています。参拝できなかったA君の分を親御さんに引いてもらうと、「六ッ むりにこいとハいはんでな いづれだん/\つきくるで」とのお言葉が。私は思わず目を細め頷きました。
しばらくして、A君のお母さんが急な身上のお手入れを頂きました。母親のたすかりを願い、久しぶりに教会に顔を出したA君。この先のことをしっかり話し合いました。ありがたいことに、やがてお母さんの身上は鮮やかにご守護いただき、それ以来、A君もかつてのように青年会活動の中心として頼もしく活躍しています。
私たちの体は神様からのかりもので、心一つが我がのものとお教えいただきます。心だけは銘々の自由となれば、神様でも人の心は変えられない。つまり、神様に人の心変わりを願うことは無理な願いなのでしょうか。
神様は直に人の心を動かさずとも、人の心が変わるような状況をご用意くださり、その結果、人の心の向きが変わるように仕向けてくださると考えます。これまで人間思案を越えた神様の大きな親心とお働きに、どれだけたすけていただいたことでしょう。
(中田)