微力でも語り伝えたい – 視点
古代日本には、伝承を語り伝え、公の場で奏する「語部」という人たちがいた。わが国最古の歴史書『古事記』のもとになる天皇の系譜などを誦習した稗田阿礼も、それに類すると見られており、その出身地は「語り部の里」を謳っている。
現代では災害や事件の教訓を語り継ぐ人のことを「語り部」と称する。ようぼくである与那覇百子氏は「悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない。平和の尊さを知ってもらいたい」との思いで、長く沖縄戦の体験を語り伝えてきた。その語りは、事実関係も踏まえて、『生かされて生きて』(道友社刊)として2011年に出版された。
また、本紙6月22日号で詳報の通り、先ごろ彼女を主人公にした児童書『ももちゃんのピアノ』が一般の出版社から刊行された。終戦から80年近く経ち、戦争体験のない世代が社会の中心をなす現在、実体験に基づく話を語り伝えることはますます重要になる。
沖縄本土復帰50年に当たる今年は、こうした平和への希求とは裏腹に、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が勃発。また、軍事クーデターによるミャンマーの内戦は泥沼化している。それは、
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへからせかいにハこのしんぢつをしらんから
(おふでさき十四号25、26)
みなどこまでもいつむはかりで
と示される、陽気ぐらしを目的に人間を創造された元初まりの思召を知らないがゆえの姿である。
折しも、人類のふるさと・ぢばでは年頭に真柱様が教祖140年祭を勤める旨を発表され、年祭の意義を再確認し、それを伝える人の信仰姿勢の大切さをお諭しくださった。
世界情勢を見れば、一人ひとりにできることはあまりにも小さく感じる。しかし、この旬にこそ、何よりも元なる親の思いを語り伝えたい。たとえ微力に思われても、まずは身近な人にお話を聞いてもらえるように、「なるほどの人」といわれるような誠の心に基づく日々を通ることが肝要である。
(三濱)