子供の帰りを待ちかね 共に分かち合うよろこび – 逸話の季
7月です。夏野菜が食卓を彩る季節がやって来ました。妻が春先に小さな種から育てた苗が成長し、豊かな自然の恵みを毎日頂いています。太陽の光をたっぷり浴びて、天水の恵みをいっぱい吸収したキュウリやナスは、はち切れそうなほどパンパンに膨らんでいます。一つひとつの野菜には、大地と空の恵みがギュッと詰まっているのです。鮮やかな食卓の彩りに、親神様のご守護を感じる季節です。
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明治12、13年ごろの初夏のこと。ある日、カンカンと照りつける太陽の下で、皆が汗ばみながら「麦かち」をしていると、教祖もお出ましになり、手拭を姉さん冠りにして一緒に麦かちをなされました。農作物の収穫などで忙しいとき、教祖は「私も手伝いましょう」と仰せになって、よくお手伝いをされたそうです。
麦の穂を打つ柄棹には大小2種類あり、大きいほうの「柄ガチ」は余程力がないと使えません。しかし、教祖は高齢になられても「柄ガチ」を持って、若い者と同じように仕事をなさいました。八十の坂を越えられた教祖の仕事振りに、皆、感歎したと伝えられています(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「七〇 麦かち」)。
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かつて狩猟採集から農耕へと生活の基盤が移行することによって、人は定住して大きな集団をつくるようになりました。
豊かな恵みを共有するには、相互のたすけ合いが不可欠です。収穫のよろこびは、一人の利益の享受ではなく、多くの人々と分かち合うよろこびなのです。八十を過ぎても教祖は、人々と共に汗を流し、この収穫のよろこびを共有されました。ご高齢の身の壮健さもさることながら、「私も手伝いましょう」と仰せになる教祖のお言葉に感銘を受ける逸話です。
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また、教祖は「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(側楽)と言うのや」とも教えられています(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一九七 働く手は」)。働くことは、人々が互いにたすけ合い、支え合うことなのです。
猛暑のために疲労が蓄積してくる時季ですが、ご高齢の教祖が「柄ガチ」を振るわれるお姿を目に浮かべると、もう少し頑張ろうという気力が湧いてきます。
■文=岡田正彦