天理時報オンライン

相手の喜びや悲しみを共有する – 心に効くおはなし


作家の柳田邦男氏の本に、再発胃がんで入院していたおばあさんの話があります。苦しみが激しく、医師や看護師にも背を向けて取り付く島がありません。そこへ看護に付いたのが若い看護学生でした。彼女は途方に暮れ、ただ手を握り、体をさすってあげるだけ。しかし、その無言のひたむきな行為におばあさんの心が開き、少しずつ孤独な身の上を話すようになりました。それでも看護学生は応答の術も知らず、「そうですか」と相づちを打つだけでしたが、不思議とおばあさんの痛みの訴えが少なくなり、やがて穏やかに旅立って行ったそうです。

省みて私ならどうするか。

「おばあちゃん、元気を出しなよ。そんなことでどうするの。陽気ぐらしだよ」

相手を勇ませようと、つい言葉で説得したくなります。しかし説得では、相手の悲しみや苦しみを共有できません。いくら整然と教理を説いても、相手の心に届かなかったら、それは空虚な言葉、死んだ言葉です。

教育の世界も同じことです。言葉は大事な伝達の手段ですが、その言葉に生命を吹き込むのは、相手の喜びや悲しみを共有することでしょう。どんな人をも一人の人格として尊び、自分では何もできなくても、せめて相手の話にじっと耳を傾ける。それでこそ、あなたの言葉も生きてきます。聴くから聴いてもらえる。教育に携わる人や布教する私たちにとって今、心すべき大切なことだと思います。

『なべて世は事もなし』

井筒正孝著(天理教黒石分教会前会長)

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