天理時報オンライン

神社やお寺を訪れるときは… – 身近で聞いた素朴な問いにWAKUさんがお答えします


イラスト/なんばなつこ

教会へ参拝に来た信者さんから尋ねられました。「町内会の旅行の案内が回ってきて、社寺巡りをするとのことなんです。他宗の神様や仏様を拝んで回るのは、あまり気が進まないのですが、何か心得ておくことはありますか?」

久しぶりの親睦旅行ですね。社寺巡りとはいいじゃないですか。伝統のある神社やお寺の様子も、よく見てこられたらいいと思います。皆さんと仲良く楽しんできてください。

拝み方が分からなければ教えてもらって、それぞれ正しく参拝できればいいですね。せっかくの機会ですから、ただ観光するのではなく、いまのこの世の中の治まりを、しっかりと祈念してきてください。

教祖は、「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え」と、お祈りの最後に、私たちの信仰する親神様の神名をお唱えすればいいと、お教えくださっています。

それは決して矛盾することではなく、神社でもお寺でも、詣り場所といわれるところは「手に譬えば、指一本ずつの如きものなり」と仰せくださいます。そして、親神様のお鎮まりくださる元の「ぢば」は、「両手両指の揃いたる如きものなり」と、その関連をお教えくださり、親神様のご守護には少しも欠けるところがないことをお示しくださっています。

それぞれの詣り場所では、親神様のさまざまなご守護の、一つひとつを讃えているとも考えることができます。お参りすることは、そのご恩に報いることになるとも言われますから、実に結構なことだと思います。

今度おぢばへ帰られたら、存命の教祖に、このたびの社寺巡りの報告をして、さらに重ねてお礼とお願いをさせてもらってください。


西村和久(天理教一筋分教会長)