天理時報オンライン

3歳から共に暮らした里子の夢と巣立ち – 家族のハーモニー


夢に向かって

東京に桜の開花宣言が出されたころ、わが家にも嬉しい春の便りが舞い込んだ。それは、22歳の元里子・正夫(仮名)に届いた、「作業療法士国家試験合格」の知らせだ。

正夫は、私たち夫婦が里親活動を志し、初めて受託した当時3歳の里子であり、18歳で里子としての措置が解除された後も、わが家から大学へ通っていた。

私たち夫婦は正夫の受託以降、行政の要請で資格を得て、障害のある子供のための里親となった。その後に受託した子供たちの様子や、私たちの世話取りの姿を見ながら、正夫の心に子供や障害に向き合う思いが育ったのだろう。大学受験を考えるとき、作業療法士になってこうした子供たちへの手助けをしたいと、将来の夢を語り、医療系の大学へ進学した。

正夫は高校時代から7年間、少しでも大学の費用の足しになればと、勉強の傍らスーパーマーケットの鮮魚店でアルバイトを続けた。真面目で明るい性格の正夫は店でも重宝され、正夫のシフトに合わせて来店するお客さんもいるほどになった。正夫が高校時代に抱いた目標が私には嬉しく、家族みんなで応援してきた7年間でもあった。

国家試験受験日の朝、私は正夫と妻と3人で教会の神前で参拝し、「受験の日を無事に迎えられたことを、まず感謝しよう」と正夫に言った。正夫は「本当にそうだね。ありがとうございます」と言って、しばらく頭を垂れていた。

嬉しさと寂しさ

正夫は昨年、実習に通っていた病院から、すでに就職の打診を受けていた。そのことも、正夫の前向きな姿勢の賜物のように私は感じていた。

何もかもがありがたく、正夫と共に就職先の近くにワンルームマンションを探して契約、家具や電化製品をそろえるなど自立の準備をした。正夫は時間をやりくりしながら、自動車運転免許の取得にもチャレンジした。

あるとき、車の助手席で正夫が「社会人になるって大変なんだね」とつぶやいた。私が「そうだね」と言うと、正夫は「でも僕は幸せだよ。ありがとう」と微笑んだ。「その言葉が心にあれば、きっとどんなことも乗り越えられると思うよ」と私は付け足した。

社会という大海原には、おそらく理不尽なことや、競争、駆け引きなど、学生時代には経験し得なかった世界が待っているだろう。独り立ちする正夫のことを考えると、心配もたくさん湧いてくるが、正夫のこつこつと努力する姿は、きっと彼自身を守ってくれるに違いない。それに加えて、人の恩や、今日という日の大きな恩を感じる心こそが、その大海原を泳いでいく力になるだろう。

引っ越し準備の一つひとつにも「ありがとう」と私たちに言う正夫に、私は将来の無事を確信し、そして祈った。

正夫がわが家から旅立った日、がらんとした部屋を見た妻が、「巣立ちは嬉しいけど、寂しい……」とハンカチで目頭を押さえた。正夫の前では決して見せなかった姿だ。その準備を共にしていた私自身が、ずっとこらえていた言葉でもあった。妻には何も答えられず、私も眼鏡を外して涙を拭いた。

正夫はその後、私に書類上の手続きについて電話をしてきたり、妻には料理のレシピをメールで尋ねたりしている。

先日、正夫に届ける物があり、妻に伝えると、「ちょっと待ってて」と言って、大急ぎでレモンの蜂蜜漬けとネギ味噌を作り私に託した。妻はあの日以来、涙を見せないが、すぐにでもそばに行ってやりたいという母親の姿がそこにあった。

助手席に置いた二つの瓶を見ながら、家族をつなぐ新しい役割ができたことが嬉しかった。


白熊繁一(天理教中千住分教会長)
1957年生まれ