夜空に輝く星に見守られ – わたしのクローバー
似た者同士の二人
随分前、ある小冊子の「心にゆとりを」というテーマの号に、短い文章を載せてもらった。仕事にも育児にも余裕のない私に何が書けるねん……と思いつつ、当時、中学生だった娘と一緒に夜空を見上げてため息をついた、美しい月と星のことを書いた。「あくせくしないで過ごそう」と思い、作文の機会をもらったことを喜んだ。
とはいうものの、その後も心に余裕のない日々は続いていた。理想と現実はうまく一致してくれない。いま思えば、疲れていても言葉一つでふれ合えたかもしれない。もっと優しい言葉を選んでいればよかった。でもそれは、いまだから思うことで、実現しなかったことばかりだ。
年々、母親に厳しくなる娘たちを、優しく受けとめることができないでいた私。「だいすきなままへ」と、まだ拙い字で書いた手紙をながめたり、一緒に見た美しい景色を思い出したりしながら、悪戦苦闘していた。
特に衝突が絶えなかったのが次女で、話しかけようとしても、いつも不服そうな表情を向けてくる。表現が苦手で、彼女と私は家族の中で一番の似た者同士。次第にとげとげしい言葉しか交わせなくなっていた。
大学を中退した彼女は、とうとう何もかも置いたまま家を出ていってしまった。だが、もしかしたら、このままでは危ないところを引き離し、落ち着かせてもらっていたのかもしれない。
距離と時間が、お互いのとげを丸くしてくれた。次女からは数年後、連絡が届くようになり、彼氏を紹介したいと連れて帰ってきた。そして、順風満帆でない下手くそな子育て体験は、私の財産の一つになった。
転校していった生徒
Iは、担任していたクラスの生徒だった。親と衝突して反抗的な態度を繰り返してしまい、学校も休みがち。話をしてみると、家族のことが好きなのに、いくつかの出来事から次第に嚙み合わなくなってしまい、その関係に、もがいているようだった。
一方、どうすればいいかと悩む母親からは毎日、電話がかかってきた。残念ながら、私はすぐに効く特効薬のような言葉を持っていなかったが、次女と衝突した日々を思い出しながら「お母さん、大丈夫。焦らないで」「大丈夫ですよ」と繰り返していた。
学校を続けられなかったIは転校していったが、数年後には「就職できそうです」と、さらに「もうすぐ結婚します」と、節目ごとに連絡をくれた。
昨年末には可愛い赤ちゃんの誕生を、写真と共に喜びいっぱいのメッセージで知らせてくれた。あのときのお母さん、孫と一緒に帰ってきた娘さんを、笑顔いっぱいに迎えておられるのだろうな。良かったね。二人とも頑張ったね。幸せを分けていただいた私は、勝手に、孫がもう一人増えたような気分を味わっている。
◇
新型コロナウイルス感染症が拡大し始めてから、思いがけないことばかり続いている。もう、いいかげん収まってほしいと誰もが思っているだろう。
結婚して大阪市で暮らす次女からは、コロナで孫が通う保育園が休園になって困っていると、LINEが届いた。私は助っ人として、5歳の孫と一緒に数日、留守番をすることになった。
次女が出勤する前に到着するよう、始発電車で向かおうとすると、外はまだ真っ暗で星が輝いている。駅までの道を明るい月に見守られ、星を見上げながら歩くと、中学生だった娘との思い出がよみがえってくる。
留守番を終えた帰り道、「勤めている間、なかなか家のことできんかってゴメンなぁ。いまやったらいつでも、猫の手くらいの手伝いするからね」とLINEを送ると、「いや、無理だったでしょ。むしろ、昔しょうもないことで世話かけたなって反省してる」と返信があった。帰りも夜空に星が輝いている。「ありがとうございます」とつぶやきながら、涙を拭いた。
藤本加寿子(元天理高校教諭)
1959年生まれ