「この町を日本で一番優しい場所に」会長と共に夢に向かって道を歩みたい – わたしは初代スペシャル
2025・1/1号を見る
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ようぼくの仲間入りから3年
初席者を毎月おぢばへ導いて
久保田篤賢さん
37歳・和一分教会ようぼく・兵庫県淡路市
「『この町を“日本一優しい場所”にしたい』という会長さんの夢を共に叶えたい」。信仰初代の久保田篤賢さん(37歳・和一分教会ようぼく・兵庫県淡路市)は、筋肉が徐々に弱っていく進行性の難病「筋ジストロフィー」を抱える木村基彰・和一分教会長(42歳・同市)と“二人三脚”で信仰の道を歩む。重度訪問介護の仕事の傍ら、5年前から木村会長と共に地域課題の解消に向けて精力的に取り組みながら、初席者をおぢばへ誘っている。自身がようぼくの仲間入りを果たしてから現在までの3年間は初席者を毎月おぢばへ導き、これまで別席を運んだ人は38人を数える。福祉や医療の現場に身を置いてきた久保田さんが、お道の教えを知り、何を感じたのか――。久保田さんの心の軌跡と活動の原動力に迫った。
2024年12月6日午後、かつて漁師町として栄えた淡路市江井の住宅地で、久保田さんと木村会長がチラシ配りに歩く。木村会長が乗る車いすを久保田さんが押しながら、一軒一軒回っていく。
「こんにちは!花火のお知らせにきました」。木村会長が手にするチラシには、翌7日に花火を打ち上げることを伝えるメッセージとともに、「和一分教会創立100周年記念祭」の文字が記される。「地域の人たちに喜んでもらいたい」との思いから、明日の記念祭に合わせて花火を打ち上げる計画だ。
5年前から、さまざまな地域課題の解消に向けて取り組んできた。花火の打ち上げも、コロナ下でつらい思いをする地域の子供を喜ばせようと始めたもの。こうした取り組みと並行して、一人でも多くの人に教えを知ってもらおうと、初席者をおぢばへ導いてきた。
「『人のためになることを』と、自分にできる活動に取り組んできた。その中で会長さんと出会い、陽気ぐらしの教えを知ったことで、何のために活動するのか、その“答え合わせ”ができたように思った」
パッチ・アダムスに憧れる青年が
陽気ぐらしの教えに感銘を受け
昭和62年、大阪府内の知的障害者入所施設で勤める両親のもとに生まれた。
2歳のとき、先天性心疾患があると判明し、大学病院で生存率50%の手術を受けた。以後も入退院を繰り返し、運動など心臓に負担がかかる行動は制限された。「胸に残った大きな傷跡が原因で、いじめられたこともあった。『何のために生きているのか』と、子供ながらに悩み苦しむ毎日だった」
こうしたなか、強度行動障害の入所者に対して、笑顔で献身的に世話取りする父の姿にふれるうちに、いつしか「僕はこのままでいいんだ。明るく生きていいんだと思えるようになった」。
1度目の人生の転機は高校時代。父の勧めで、米国の精神科医でクラウンドクター(入院中の小児の病室を訪れ、遊びやコミュニケーションなどを通じて心のケアをする専門家)のパッチ・アダムス氏の史実を描いた映画を鑑賞し、「自分も人を幸せにする活動をしたいと思うようになった」。
大学を卒業した数年後、父と共に働き、重度障害がある人の世話取りに努めたのち、作業療法士の資格を取得。淡路市内の病院で勤務し、木村会長と知り合う。
2020年、新型コロナウイルスの感染が拡大。医療従事者の社員寮では厳重な感染防止対策がなされ、行動も制限されるなか、久保田さんの周囲でだんだんと心を倒す人が出てきた。
「医療が逼迫するいまだからこそ、医療従事者がまず明るく元気でいなければならない。医療従事者をサポートする場所をつくりたいと思った」
すぐに共同生活をするための戸建て住宅を探し始めた。不動産会社を回る一方、知人を頼ろうと考え、たまたま最初に連絡したのが木村会長だった。これが人生2度目の転機となる。
久保田さんが事情を話すと、いまは使っていない旧教職舎を快く提供してくれた。受け入れ設備を整えたのち、心を倒した医療従事者たちとの共同生活をスタート。教会にも出入りするようになり、木村会長から天理教の教えを初めて耳にする。さらに、木村会長の「日本一優しい町をつくりたい」という夢を聞き、難病を抱えながらも人のために尽くそうとする姿勢に感銘を受けた。
「陽気ぐらしの教えを知り、自分が目指していたものは、まさにこれだと直感した。会長さんの夢に向かって、自分も生涯をかけて歩みたいと思った」
その後、地域の課題を解消しようと、維持管理ができなくなった農地を活用して稲作をする、空き家を整理するなどの活動に着手。こうした活動に取り組みながら、3年前に自身がおさづけの理を拝戴した。
地域課題の解消に取り組む中で
つながった人たちを毎月おぢばへ
久保田さんは自身が別席を運び始めた5年前から初席者をおぢばに連れ帰り、ようぼくの仲間入りを果たした3年前からは毎月おぢばへ導いている。これまで別席を運んだ計38人は、地域課題の解消に取り組む中でつながりを持った人や医療従事者、福祉事業の研修会などで知り合った人たちだ。
「活動の中で出会う人とのつながりを大切にし、関係を深めることを意識している。こうして友人になった人たちに、陽気ぐらしの教えを知ってもらいたいと思って別席にお誘いしている」
◇
久保田さんと木村会長がチラシ配りから戻ると、長辻優香さん(28歳・同ようぼく・大阪府堺市)が、翌日の記念祭参拝のため教会を訪れていた。
作業療法士の長辻さんは、久保田さんが医療従事者のサポートを始めるきっかけになった一人。コロナ下で原因不明の発熱が続き、次第に心を病むなか、久保田さんに声をかけられ、共同生活を送ることに。その間に教会で教えにふれ、木村会長から修養科を勧められて志願。修了後も約1年間、詰所に滞在し、心の調子を取り戻した長辻さんは、昨年3月に復職した。
現在も教会へ足を運ぶ長辻さんは、「教会とおぢばで過ごした2年間は、自分を見つめ直す時間になった。お道の教えを知り、“人のために”という気持ちが一層強くなった」と話す。
◇
翌7日午前8時すぎ。記念祭の直前まで、久保田さんは教会の隣にある作業場で竹灯籠を製作していた。
これは、記念祭の参拝者や、打ち上げ花火の費用をお供えしてくれた人に対して、名入れをして渡すためのもの。
竹灯籠の側面を電動やすりで丁寧に削るのは、北山慎也さん(32歳・同別席運び中・淡路市)。久保田さんの友人である北山さんは、5年前から久保田さんと木村会長の活動に協力。現在、旧教職舎で共同生活を送りながら看護師を目指して専門学校へ通っている。
「以前は宗教に対して抵抗があった」という北山さん。「実際に関わってみると、二人とも地域の人のために動いていた。自分も活動に参加する中で、地域の人から感謝されることがあった。いまでは抵抗なく、素直な気持ちで信仰に向き合えている」と語る。
別席を8席まで運んでいる北山さんは「看護師になっても二人への感謝の気持ちで活動を手伝っていきたい」と笑顔を見せる。
身体が不自由でも“人のために”
たすけ合いの輪を広げていきたい
午後1時、教会の100周年記念祭が執り行われた。久保田さんは祭儀式の扈者と座りづとめのおてふりを務めた。
この後、町の旅館に会場を移して直会が持たれた。その中で、木村会長が「和一分教会の歩み」と題し、これまで久保田さんと取り組んできた活動などをプロジェクターを用いて説明した。
午後5時半すぎ、久保田さんの合図で花火の打ち上げがスタート。花火が望める窓際には、明かりが灯された名入りの竹灯籠が一列に並べられた。やがて、淡路島の夜空を覆いつくすように、花火が盛大に花開く。
「実は先日、和一分教会の初代会長である吉福島三郎さんにも、その手足となって人をつなぐ役割をされた信者がいた、と会長さんから聞いた」という久保田さん。自身の役割と重なるところがあり、不思議な縁を感じているという。
「『この町を“日本一優しい場所”にしたい』という会長さんの夢は、自分の夢。会長さんと共にさまざまなことに取り組む中で、自分のやりたいことが叶っていく。心臓に病気があっても、身体が不自由でも“人のために”と行動し、陽気ぐらしを目指す中で、『かしもの・かりもの』の尊さを実感する。初代会長をはじめ、この地でおたすけに励んだ信者さん、その思いを代々受け継いでいった人たちが今日の花火をご覧になり、きっとお喜びになっていると信じて、これからもたすけ合いの輪を広げていけるように、一から始めるつもりで精いっぱい努めたい」
文=加見理一
写真=嶋﨑良