立教188年春季大祭 宮森内統領神殿講話(要旨)
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教祖140年祭まで残り1年
勇んでにをいがけ・おたすけへ
立場や役割を自覚し一人前の働きをする
教祖140年祭へ向かう三年千日の活動も残すところ1年となった。私たちは立教185年の秋季大祭に、真柱様から「諭達第四号」を発布していただき、その精神をもとに、それぞれが心を定めて年祭活動を始めた。
年祭活動の意義は、「教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めること」と「諭達」にお示しくだされている。
これまで教祖の年祭は、親神様・教祖のご恩に報い、ようぼくが教祖のひながたをたどって、心の成人の姿を教祖にご覧いただこうと、勤められてきた。その旬々に応じて、神殿や教祖殿、おやさとやかたなど、形の普請を通して成人の姿を表そうと目標を定めてきたが、教祖140年祭は形で何かを残そうというものはない。それぞれの教会や、ようぼく一人ひとりが三年千日の通り方を心に定め、実践していくのが、このたびの年祭活動である。
「おさしづ」の中に、「どうしたらいいのか」と、いつまでも尋ねてばかりではいけない、ようぼくには、たすけ一条のために「さづけの理」を渡してあるのだから、ひながたを目標にしっかり歩みなさい、と諭されるお言葉がある。
ようぼく一人ひとりがこぞって、自らの立場や役割を自覚して、一人前のようぼくとしての働きをするのが教祖140年祭の年祭活動なのである。
諦めることなく伝える努力を
私たちは「教祖のひながたをたどろう」と申し合わせている。
教祖は天保9年、「月日のやしろ」にお定まりくだされて以降、ひたすらに「ひながたの道」を歩んでくだされた。貧に落ちきることから始められ、親戚縁者からの反対や僧侶などによる狼藉の中を通られたのも、監獄への御苦労も、すべては親神様の思召とは何かを、そして親神様のご守護によって救かる道があることを、分からせてやりたいとの御心からにほかならない。教祖お一人で始められた「伝えるための道」「分からせるがための道」、それが「ひながたの道」なのである。
誰の理解も得られないなか、ただお一人で親神様の思召のままに歩まれる教祖の胸中は、人間思案では計り知れない、「たすけてやりたい」という親心であられたと思う。そうして示してくだされた「ひながたの道」をたどるために、私たちはどうすればよいのだろうか。
それは、ただひたすらにをやの思いを、親神様の思召を分かってもらいたいと努めることだろう。根気よく、諦めることなく伝えること、分かってもらう努力をすることこそがひながたをたどるということである。
ようぼくは教祖の思いを伝える取次人
私たちは「成人した姿を教祖にご覧いただこう」と申し合わせている。どうすれば人に教えを分かってもらえるのか、教祖の思いが伝わるのかを考え、その努力を重ねることが、自分自身の成人につながってくると思う。親神様の教え、教祖の思いを伝えたいとの思いを行いに表すことがひながたをたどり、成人した姿をご覧いただく元になるだろう。
「おふでさき」には、「とりつぎ」という言葉が4回出てくる。取次人といえば、いまでは別席のお話を取り次ぐ者が思い浮かぶが、広い意味で捉えると、親神様の教えを教祖に代わって取り次ぐ人であり、おさづけの理を取り次ぐ人だと考えれば、ようぼくは全員、取次人である。
「おふでさき」では「とりつぎ」に対して、「このよふの元」「にんげん始めだし」の「ぢば」について伝えてくれと仰せられている。ようぼく一人ひとりは教祖の思いを伝える取次人であり、その内容は「おぢばへ」である。自分の言葉で、自分の意思で、「私とおぢばへ」を声に出して伝える、今はそのときである。
おぢばから遠くに住む方は、何度もおぢばへ帰るのは難しいだろう。近くにいても、忙しくて何度も帰るのは難しい人もいるかもしれない。しかし、大切なことは、どんな気持ちでおぢばへ帰るのか、どんな心で年祭当日までの1年間おぢばを思い続けるか、そして、どれだけ「おぢばへ」との思いを周りの人に伝えられるかである。世界中のどこにいても、おぢばだからこそと私たちが思えば思うだけ、親神様のご守護は深まっていくはずである。
ようぼく一人ひとりがそろって、教祖の御心を伝えたい、分かってもらいたいと、精いっぱいにをいがけ・おたすけに励めば励んだだけ、必ず見えてくるご守護の世界があるはずである。年祭当日まで残り1年、教祖のひながたを頼りに、お道の人らしく日々勇んでにをいがけに、おたすけに励んでいこう。