「エネルギー研究」×「こども食堂」“二刀流”で現代の難渋に向き合う – ヒューマンスペシャル
京都大学大学院特定教授
乾直樹さん
お道の信仰者として、多くの問題を抱えるいまの社会を変えていきたい――。
京都大学大学院特定教授の乾直樹さん(59歳・本部直属大阪分教会正純布教所長後継者・奈良県大和郡山市)は、地球温暖化などの問題解決に向け、環境に優しい蓄電池の研究に日夜、取り組んでいる。
その傍ら、4年前から「地域のおたすけに取り組みたい」と、妻の真理さん(57歳・同夫人)と協力して、布教所を拠点に「せいじゅんたすけあいこども食堂」を始めた。さらに「こども食堂」での食事提供のみならず、子供たちに“生きる力”を身に付けさせようと、職能体験やコンピューターのプログラミング教室を開くなど、多角的な支援活動を展開している。
地球環境問題への取り組みと、さまざまな事情を抱えた地域の子供たちへの支援――。グローバルとローカルの、いわば“二刀流”で現代の難渋に向き合い、自分にできるおたすけに情熱を燃やす、乾さんの思いに迫った。
世界の問題はすべて“わが事”「恩返し」を胸におたすけへ
ズラリと並ぶ大型の実験装置と、器具や薬品の数々。ここは京都市西京区にある京都大学桂キャンパス内の研究室。
「いまだ世に無いものを創造して、環境問題の解決に貢献したい」
京都大学大学院工学研究科特定教授の乾さんは、白衣をまとい、新しい蓄電池の研究開発に打ち込む。
一方で、大学が休みの日には、妻の真理さんが代表を務めるNPО法人「せいじゅんたすけあいこども食堂」の事務局長として、貧困や不登校などの事情を抱える子供たちの支援にも取り組んでいる。
持続可能な社会の実現に向け
信仰5代目。幼いころから大阪分教会役員の祖父・広蔵さんに連れられて教会へ足を運び、少年会活動に参加するなど、お道の教えを身近に感じてきた。
19歳のころ、相次いで節を見せられた。大学受験に失敗して浪人生活を送るなか、広蔵さんが出直した。さらに両親が離婚。家庭内が乱れていき、追い打ちをかけるように2度目の受験に失敗した。
たび重なる節に心を倒しそうになるなか、乾さんの心を救ったのは、亡き飯降俊彦・大阪分教会6代会長だった。
「自分を親だと思ったらいい」
受験勉強を言い訳に、両親の不和に真正面から向き合うことを避けてきた乾さんにとって、温かい親心を感じた瞬間だった。以後、少しずつ前を向けるようになると、3度目の受験で無事に合格し、京都大学工学部へ進んだ。
「あの経験がなければ、いまの私は、お道につながっていないかもしれない。自分の力ではどうにもならない事情を俊彦先生にたすけていただいたことが、人生の大きな転換点となった」と述懐する。
進学後、乾さんは「俊彦先生への恩返しになれば」との思いから、京都教区学生会の活動に積極参加。副委員長を務めるなど、同世代の仲間と信仰を求めた。
大学4年間で有機化学の研究に取り組んだ乾さんは、卒業後、大手化学メーカーに就職。主に、環境に配慮したエネルギー研究や、新しい蓄電池の開発事業に従事した。その実績が認められ、2011年から6年間にわたって、アメリカの自動車会社の電気自動車普及プロジェクトに参画。自動車に用いる蓄電池の実用化に携わった。
日米のエネルギー研究開発の最先端で活躍する一方で、世界たすけを志す具体的な取り組みとして、40代半ばから国連WFP(世界食糧計画)の活動にもボランティアとして参加するようになった。
その後、米国でのプロジェクトを終えたころ、「環境問題が深刻化するいま、将来を見据えたエネルギー研究が必要」と痛感した。“未来への危機感”を抱き、新たな研究施設の設置を会社へ提案。京都大学と共同研究を進めることになり、3年前、大学院の特定教授に就任した。
「地球温暖化や飢餓など世界のさまざまな問題に向き合い、持続可能な社会の実現に貢献しながら、後進の育成にも力を注ぎたい」と日夜、研究に勤しみながら教壇に立つ。
苦しむ子供たちに“生きる力”を
15年ほど前、国連WFPのボランティア活動を始めたころ、休日ににをいがけに歩くようになった。恩返しの思いを胸に、毎週のように戸別訪問に回ったものの、断られる日が続いた。
そんななか、次第に「そもそも世の中の人は、教えに耳を傾けるよりももっと前の段階で困っているのではないか。まずは、おたすけが必要なのでは」と感じるようになったという。
「布教所として、何か地域に根ざしたおたすけ活動ができないか」
家族で相談を重ねるなか、4年前の5月、真理さんが「こども食堂」を開くことを提案。家族の賛同を得て、同年7月に「せいじゅんたすけあいこども食堂」が始まった(こちらから過去記事参照)。すぐに口コミで話題となり、回を重ねるごとに参加者が増えた。それに伴い、県内外からボランティアの志望者も集まるなど、徐々に支援の輪が広がり、2年前にNPO法人化した。
多くの子供たちとふれ合う中で見えてきたのは「想像よりも深刻な状況に置かれた子供たちの実態だった」。
「こども食堂」の利用者の約半数が発達障害のある子供だった。コミュニケーションがうまく取れず、人の気持ちを理解することが苦手。それが原因で、学校でいじめに遭い、不登校になった子も少なくなかった。ほかにも、ひとり親家庭で生活困窮状態にある子、育児放棄や家庭内暴力が疑われる子など、多くの子供たちが何らかの事情を抱えていた。
「食事提供などの短期的な支援だけでなく、子供たちに“生きる力”を身に付けさせるための長期的支援が必要ではないか」そう感じた乾さんは、職能教育や農業体験などの体験型学習の機会を設けた。2年前からはプログラミング教室を開き、乾さん自ら、子供たちにコンピューター技術を伝えている。
「これからの社会を生きていくには、コミュニケーション能力や自ら考える力、物を創造する力といった能力が必要だ。子供たちには、さまざまな体験を通じてそうした力を養ってもらいたい」
また、ひとり親家庭への生活支援や子育て相談会なども実施し、保護者への支援にも力を入れている。
「こども食堂」をきっかけに、さまざまな支援に取り組む「せいじゅんたすけあいこども食堂」の活動は、今年6月に閣議決定された「令和4年度子供・若者白書」(所管・内閣府)で紹介されるなど、地域における先駆的な子育て支援の一つとして注目を集めている。
現在、5年目を迎えた同食堂。昨年の開催行事回数は214回、参加者総数は4,356人、ボランティアスタッフは1,230人を数える県内最大規模に発展した。こうしたスタッフの中から、お道につながる人も出てきているという。
乾さんは、「『こども食堂』の醍醐味は子供たちの変化にある」と話す。
「最初は落ち着きがなく、自分に不都合なことがあると泣き叫んだり、暴れて物を壊したりするような子が、2年3年と通い続けるうちに、自ら片づけをするようになったり、積極的に手伝ってくれたりするようになる。さまざまな新しい支援に取り組む中で、思い悩むこともあるが、そういった子供たちの成長が何より楽しみだ」
◇
現在、大阪分教会の役員と少年会大阪団団長も務めている乾さん。月次祭では、「こども食堂」を利用する人たちのたすかりを願っているという。
大学での研究に加え、「こども食堂」での精力的な活動など、多忙を極める乾さんだが、こうした諸活動の根底には、もとよりお道の教えがあると話す。
「『たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ』(おふでさき十号104)とお教えいただくように、環境問題も子供たちの将来への不安も、世の中で起こってくることはすべて“わが事”だと思っている。困っている人は、まだまだ大勢いる。お道の信仰者として、これからも大学での研究と『こども食堂』を通じて、難渋を抱える人たちの手だすけをしていきたい」
文=島村久生