“旬の理”に応えて – 道を楽しむ2
地元のケーブルテレビまで使って募集してきた「こどもおぢばがえり」。それでもやはり、岩手といった遠方からの団参募集は容易ではなく、どうにかマイクロバス1台で帰らせてもらうのが通例だった。
10年ほど前の東日本大震災後、被災地から一人でも多くの子供たちを連れて帰ってきてもらいたいとの本部の温かい親心により、大きなご支援を頂いた。その思いにお応えしようと、例年よりも一歩成人すべく、観光バス1台の目標を掲げた。
そんな折、大教会の縦の伝道講習会で少年会本部のK先生から講話していただいた。その後、K先生を交えての懇談の席で、被災地にある教会として、今年の「こどもおぢばがえり」にどう取り組む予定かを尋ねられた。「なんとか観光バス1台を……」と言ったところ、この旬には「いや、3台でしょ!」とハッパをかけられる。「冗談はよしてください」と笑い飛ばす私に、その様子を目の前で見ておられた当時の大教会長様が「やらせてもらったらどうや」と真顔でおっしゃる。その瞬間、あるエピソードが頭をよぎり、私は即「はい、やらせてもらいます」とお答えした。
あるエピソードとは、こうである。ブラジル伝道庁初代庁長の大竹忠次郎先生が、教祖50年祭に一世一代の大きな団参をまとめ、おぢば帰りをした際に、二代真柱様は大変喜ばれ、翌年の立教100年にもまた団参で帰って来るようおっしゃった。大竹先生は計画も自信もなかったが、素直に「ハイ」と受けられた結果、前年同様に大勢の帰参者のご守護を頂いたという話である。
おぢばの声を頂き、また“たすけの綱”を投げてくださったと感じた私は、教会に戻り早速妻に話した。どんな顔をするかと思いきや、妻も俄然やる気を出し、目に火が付いた。
それからの2カ月間、部内教会も一丸となって団参募集に東奔西走。結果、観光バス3台という、私たちの教会では考えられない夢のような人数のご守護を頂戴した。おぢばへ帰り、すぐさま大教会長様に報告。「よう頑張ったな。わしも嬉しいぞ」と目を潤ませている大教会長様の姿に、私も涙があふれた。“旬の理”の声は、なんともありがたいものである。
中田祥浩 花巻分教会長