夜空彩る“赤銅色の満月” 登る道は幾筋あったとしても – 逸話の季
2025・9/17号を見る
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9月になり、記録的な猛暑は少し落ち着いてきました。それでも、まだ厳しい残暑が続いています。皆さまの体調は、いかがでしょうか。私はこの夏、突然の感染症で入院し、一番暑い時期を病院で過ごしました。人の生や死について身近に考える経験をして、どんな状況にあっても心の支えとなる祈りの場を与えていただいていることに、あらためて心から感謝しています。
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明治15年ごろのことです。30年来の胃病をたすけられた今川清次郎は、この道を信心させていただこうと心を定めて、おぢばへ帰ります。そのとき、教祖から「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで」というお言葉を頂いて、その温かい親心に感激しました。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一〇八 登る道は幾筋も」
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一体、いつごろから人間は、何かに向けて手を合わせたり跪いたりして、祈りを捧げるようになったのでしょうか。天災や疫病、不慮の事故や猛獣の脅威など、いつも予測できない危険に取り囲まれていた古代の人々は、たぶん日常的に自らの力の限界と無力さに向き合っていたはずです。現代に生きる私たちにとっては、こうした脅威の多くは軽減され、あまり日常的なものではなくなりました。とはいえ、人が一瞬先も見通すことができない人生を歩んでいる事実は、昔も今も変わりません。
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未来を確定できない不安と隣り合わせにある限り、人は常に思い悩み、自らの無力さと限界を前にして、きっとこれからも祈り続けるでしょう。その祈りのかたちや対象は、人によってさまざまかもしれません。
しかし、入院中の病院の窓から眺めていたときは、はるか遠くにあるように感じていた教祖殿にようやく足を運び、畳に手をついて祈りを捧げていると、登る道は幾筋あったとしても自分の前には、この道があったことを素直に有り難いと感じます。これからも、ここに祈りの場所があることに感謝して、前を向いて今日を歩んでいきたいものです。
文=岡田正彦