出直した母の口癖「すべて結構」を支えに – 修養科の四季
第948期 吉澤はつえさん 26歳
東京都足立区・興野分教会所属
3年前、母にステージ4の胆管がんが見つかりました。日ごとに病状が悪化する中も、喜んで日々を通る母。口癖は「きちんと神様に向き合って尽くせば、神様はすべて結構にしてくださる」でした。
その言葉を胸に、私も母のたすかりを願っておさづけを取り次ぎ、大教会へ日参するなど、自分なりに神様の思いに沿えるよう、精いっぱい心を尽くしました。
昨年2月、母は家族に囲まれながら安らかに出直しました。痛みのない穏やか最期を迎えられたことを「ありがたい」と思う一方で、「なぜ全快しなかったのだろう。私の真実は、神様に届かなかったのかな……」という思いが、心に引っかかっていました。
1カ月後、1年前に「一緒に志願しようね」と母と約束した修養科に入りました。
十分に頂いていたご守護に気づき
「前を向かなければ」という焦りを感じながら1カ月が過ぎると、2カ月目に不眠や肩の痛み、人間関係の悩みなど、次々と身上・事情が重なりました。
そんなとき、教養掛の先生から「お母さんが出直す前に、同じところの痛みを訴えていなかった?」と尋ねられ、ハッとしました。
思い返せば、「母が少しでも楽になるよう、私に痛みを分けてください」と、おさづけの取り次ぎの際に祈っていたのです。思案する中で、母の世話取りに当たっていた当時の私ではなく、いまの私に、あらためて身上・事情という節を見せることで痛みを分けてくださっているのではないかと、悟ることができました。
これまで、神様と心から向き合えていなかったことを反省し、すぐに教祖殿へ向かいました。そしてご存命の教祖の前で、感謝とともに、それまで抑えていた悲しみも含めて、泣きながら思いの丈をお伝えすることができたのです
以来、授業や周囲の先生のお諭しなど、自らの通り方を振り返る機会があるたびに、神様に心を沿わせることを意識するようになり、周囲の人たちのたすかりを強く願うようにもなりました。人のために祈る中で、自然と焦りや葛藤から解放されていきました。
修了式が迫ったある日、久しぶりに、母の最期の姿が頭をよぎりました。「ありがとう」と何度も口にする喜びに満ちた表情。味覚障害が一時的に治まり、大好きな甘い物を美味しく食べられたこと、お世話になった人にお礼を伝える姿、私と手をつなぎながら苦しまずに逝ったこと……。母はもう十分にご守護を頂いていたのです。
「神様は、母を結構にお連れ通りくださり、いま、私の心も救ってくださった。母の言う通り、神様に心から向き合い、人のために心を尽くして行動すれば、すべて結構にしてくださるんだ……」
思えば亡き母は、修養生活の間も悩み苦しんでいる私を、ずっと側で見守ってくれていたのでしょう。考えていることの一つひとつに、うんうんと頷き、時には一緒に泣いてくれていたかもしれません。感謝の思いで胸がいっぱいになりました。
修了後、新しい仕事に就くなど、自分なりの一歩を踏み出しています。これからも身近な人のたすかりを願うとともに、いつか子や孫に信仰の素晴らしさを伝えて、母が残してくれた想いを受け継いでいきたいです。