“科学の言葉”でにをいがけ – 視点
先ごろ出直された村上和雄・筑波大学名誉教授(本部直属典日分教会ようぼく)は、生命科学の分野で目覚ましい業績を挙げられた。
そのあらましは、本紙5月30日号の特別寄稿「科学の視点から教えを世界へ発信」(執筆者=今中孝信・「憩の家」元副院長)に詳しいが、信仰者としての視点からも、科学的知見を踏まえつつ論考を重ねられた。
たとえば遺伝子DNAには、たった4種類の塩基配列の組み合わせによって膨大な量の情報が書き込まれている。この設計図に基づいて各細胞に機能が与えられ、それぞれが異なる働きをしながら有機的に生命活動を維持している。
また、遺伝子操作によって、細胞の改良やコピーなどが可能となり、医学にも応用されつつある。ところが、最も単純な細胞である大腸菌一つ、いまだに科学の力ではゼロから作れない。
さらに、生物学的な死についても、あらかじめ遺伝子に“死のプログラム”が書き込まれている可能性があるという。「息を引きとる世話」もご守護と教えられる私たちお道の信仰者にとって、興味深い学説である。
こうした生命の精緻な営みはもとよりだが、その働きの仕組みを極微の空間に書き込んだ存在こそ、親神様にほかならないとして、その存在を「サムシング・グレート」(大いなる何ものか)と名づけ、一般向けに説明されていた。
ご自身を“サムシング・グレートのメッセンジャー”と称されたのは、科学の言葉を用いたにをいがけを意図しておられたからだと推察する。
教祖から教わったこの世の真実に、村上教授の生命観を踏まえた最新の科学がどこまで近づけるのか、将来が楽しみでもある。私たちは、それぞれの立場で教えを伝え、人間生活の目標である陽気ぐらしへと着実に向かいたいと思う。
(村)