「国民に罪を犯させない」- 日本史コンシェルジュ
2013年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会。五輪招致レースの最終プレゼンで、滝川クリステルさんのスピーチは世界に驚きを与えました。日本では「おもてなし」のフレーズが話題になりましたが、実は彼女のスピーチは、こう続いたのです。
「もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金でも。実際に昨年、現金3千万㌦以上が、落とし物として東京の警察署に届けられました」
この数字に、世界は度肝を抜かれたのです。それは同時に、日本人の道徳心の高さ、そして国民と警察の信頼関係を世界が再認識した瞬間でもありました。
現代につながる日本の警察制度の礎を築いたのは川路利良です。薩摩藩の下級武士として薩英戦争や戊辰戦争を戦い、その能力を西郷隆盛から高く評価されます。
明治6年、ヨーロッパの警察制度の視察から帰国した川路は東京警視庁を創設し、「民衆のための警察」という理想を実現するために邁進しました。
その後、西郷が西南戦争で亡くなり、二人の関係は途絶えたかに見えました。しかし不思議な縁で、二人の人生は再び重なり合うのです。
その発端は、まだ明治維新が起こる前のこと。西郷は薩摩藩主の父・島津久光との間に確執があり、沖永良部島へ島流しに遭いました。雨風に曝され、いつ死んでもおかしくないという日々を送りますが、この絶体絶命の西郷を助けたのが、牢の見張りを担当した役人でした。彼は西郷の人間力に魅了され、献身的に尽くします。そして西郷から人としての生きるべき道や役人の心得を学ぶのです。
後年、川路は、この役人から西郷の教えを聞き、魂を震わせました。そして西郷の説いた役人の心得を警察官のあり方に応用して、部下に伝えるようになります。この川路の言葉をまとめたのが『警察手眼』です。現在に至るまで、警察官のバイブルとして読み継がれています。
私が最も感銘を受けたのは、「警察官にとって、犯罪者の摘発よりも大切な任務がある。それは、国民に罪を犯させないことである」という件。この言葉の中に、国民を慈しむ日本のリーダーの姿が、そして先人たちが築き上げてきた日本の国柄が、溢れていると思うのです。東京五輪が、この誇れる日本の国柄を世界に発信できる場となりますように。
白駒妃登美(Shirakoma Hitomi)