「生きる希望」をリアルに描いた親子の愛情物語 – ヒューマンスペシャル
ようぼくの母と子映画の主人公に
指点字の考案者 福島令子さん・東京大学教授 福島智さん
「映画を通じて、世の中には、たとえば私のような、いろんな人がいるんだということを感じてもらえれば――」
このほど、ようぼく親子を主人公にした映画が全国公開された。映画『桜色の風が咲く』は、全盲ろう者として世界で初めて大学教授となった福島智さん(59歳・福神分教会ようぼく・東京都目黒区)と、その母・令子さん(89歳・同教人・神戸市)の実話をもとに、「生きる希望」をリアルに描いたヒューマンストーリー。女優の小雪さんが、3児の出産を経て12年ぶりに主演を務めたことでも話題を集めている。
智さんは9歳で失明、18歳で聴力を失いながらも、現在、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野の教授として、障害者福祉の研究に取り組んでいる。2016年には、『天理時報』の連載エッセーをまとめた『ことばは光』(道友社刊)を上梓した。
一方、令子さんは智さんを幼少期から支え、「指点字」と呼ばれる全盲ろう者のコミュニケーション法を独自に考案した。
「生きる希望」をリアルに描いた母と子の愛情物語――。映画製作の舞台裏を紹介するとともに、厳しい現実を共に乗り越えた、親子の心の軌跡をたどった。
映画『桜色の風が咲く』
出演:小雪 田中偉登 吉沢悠 他
製作総指揮・プロデューサー:結城崇史
監督:松本准平
©THRONE/KARAVAN Pictures
配給:ギャガ
全国公開中
公式サイト:https://gaga.ne.jp/sakurairo/
“明るい心”が何よりのご守護
障害乗り越えいま人のために
「完成した脚本を読んでいると、生々しく過去の思い出を振り返っているようで不思議な気持ちになりました」
自らの半生が映画化されたことに、智さんは、そう心境を語る。
「人生を歩むヒントになれば」
智さんのもとに映画化の話が舞い込んだのは4年前。松本准平監督が令子さんの著書『さとしわかるか』(朝日新聞出版)に感銘を受けたことがきっかけだった。
智さんは松本監督に、事前に脚本をチェックすることと、盲ろう者に関する演技指導に携わることを申し出たという。
「『盲ろう』という障害は特殊なケースなだけに、障害のない人だけで映画を作ると、観る人に誤解を与える可能性があると思いました。映画製作に関わる以上、誰が見ても自然な、リアリティーのある作品にしたかったのです」
脚本執筆に当たっては、智さんと松本監督、脚本家・横幕智裕さんとの間でメールでのやりとりが重ねられ、最終稿までに二十数バージョンが用意された。最もこだわったのが、令子さんが初めて指点字をするシーン。親子の何げないやりとりから指点字が考案される瞬間を忠実に再現した。
「視力に次いで聴力も失った私にとって、指点字の誕生は、真っ暗で静かな世界にひと筋の光が差した出来事。だからこそ、極端な誇張をするのではなく、当時の状況をリアルに表現したかったのです」
智さんは、主演の小雪さんや智役の俳優・田中偉登さんに、盲ろう者に関する知識を直接伝えた。
撮影は、コロナ禍の影響で一時中断を余儀なくされたものの無事終了。11月4日から全国の劇場で順次公開されている。
「誰しも人生の中でつらい出来事は起こります。しかし、どんな中でも工夫次第で乗り越えられる。観てくださった人にとって、この映画が人生を歩むうえでのヒントになればありがたいと思います」
力いっぱい生きてきた日々
「あのころは智のために、ただただ必死でした。映画でもさまざまな場面が描かれていましたが、実際はもっと厳しいものだったように思います」
完成した作品を劇場で観た令子さんは、当時を思い起こしながら感想を語る。
夫・正美さんとの結婚を機に、お道を信仰するようになった令子さんは、29歳で三男・智さんを出産。智さんは3歳で右目の視力を失い、9歳のとき、残る左目も炎症で光を失った。
「なぜ智ばかり……」。心が折れそうになる令子さんを支えたのは、ほかならぬ智さんの存在だった。
「智はくよくよしない性格で、入院生活中はいつも人気者でした。そんな智に励まされ、私も気持ちを前向きにすることができたのです。智の元気な明るい心を守ってくださったことは、親神様から頂いた何よりのご守護だったと思います」
その後、智さんは聴力にも異常が現れ始め、失聴への不安が親子を苦しめた。劇中では、食事・運動療法にも取り組み、令子さんの腰に巻いたひもを智さんが持って、令子さんが漕ぐ自転車に並走するシーンが描かれた。
「あのころは少しでも良くなるのであればと、藁にもすがる思いで必死でした」と、令子さんは述懐する。
智さんは懸命に治療に取り組んだが、18歳のとき聴力を失い、全盲ろうの状態に。絶望の淵に立たされる思いのさなか、あるとき令子さんが、智さんの指に「さ・と・し・わ・か・る・か」と点字を打ったことから、指点字が誕生する。指点字は、その後の智さんのコミュニケーション手段となり、現在は一般にも普及し、多くの人たちの希望となっている。
度重なる困難のなか、常に明るく智さんを支え続けた令子さん。「これまで神様を恨んだことはありません。大変な日々でしたが、お道の教えのおかげで、明るい心で力いっぱい楽しみながら生きることができました。人生、いつ何が起こるか分かりませんが、いま、智も私も、健康にお連れ通りいただいています。それが何より有り難いご守護だと思っています」と振り返る。
神があえて与えたと信じて
「この苦渋の日々が俺の人生の中で何か意義がある時間であり、俺の未来を光らせるための土台として、神があえて与えたもうたものであることを信じよう」
『ことばは光』から
高校を卒業した智さんは、全盲ろう者として国内で初めて大学進学。金沢大学助教授などを経て、2008年に東京大学教授に就任。全盲ろう者として世界で初めて常勤の大学教授となった。
以後、障害学研究に取り組む傍ら、盲ろう者への支援にも尽力。現在、社会福祉法人全国盲ろう者協会理事を務めるほか、広く障害者の分野で国内外で活躍している。
智さんは「盲ろう者の支援につながることをするのが、私に託された使命だと思っています。日本には、支援が行き届かず苦しんでいる障害者が大勢います。これからも、大学教授と福祉活動の両面から私にできる活動をしていきたいと思います」と、今後の抱負を語る。
令子さんは「智は、視力と聴力を失っても、心を倒さずに現実を見つめ、人さまのために頑張っています。できることなら神様の思召されるような私たちでいたい。欠点ばかりの私ですが、精いっぱい心を込めて生涯を全うしたいと思います」と話した。
文=島村久生
コラム 指点字
指点字とは、点字の原理を応用した会話法。両手の人差し指から薬指まで計6本の指を点字の六つの点に見立て、相手の指に触れて言葉を伝えるというもの。
下記から、本紙で最初に福島さん親子を紹介した過去記事(立教154年1月20日号)をご覧いただけます
https://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/20221221_human-sp.pdf