往時と変わらぬ秋の情景 蔭膳を据える真実の心 – 逸話の季
10月です。高い空に、さわやかな秋風が吹き抜けていきます。
1年のうちで、最も過ごしやすい時季ではないでしょうか。朝日を浴びながら大きく深呼吸すると、もう吐く息が白く濁っています。それに、遠くの物音が、いつもより近く聞こえるような気がします。冷たく澄んだ空気のなかでは、音が伝わりやすくなるのでしょうか。あちらこちらに、秋の深まりを感じます。
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明治15年10月29日(陰暦9月18日)から12日間、教祖は奈良監獄署へ御苦労くださいました。この間、梅谷四郎兵衞は、初代真柱様をはじめ先輩の人々と、三里の道を差し入れのために奈良へ通います。
11月9日、お屋敷へお帰りになった教祖は、梅谷をお呼びになり、「四郎兵衞さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」と仰せられました。差入物を届けたことはご存じないはずなので、四郎兵衞は不思議に思いました。実は、そのころ大阪で留守をしていた妻のタネは、教祖の御苦労をしのび、蔭膳を据えて毎日お給仕をさせていただいていたのです(一〇六「蔭膳」)。
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子供のころ、月次祭の直会などで多くの人たちの声が飛び交っているのに、自分を呼ぶ声だけがよく聞こえるのが不思議でした。運動会や文化祭などでも、なぜか自分への声援はよく聞こえたものです。
喧噪の中でも必要な声が聞こえるのは、人間の認識がいつも取捨選択されているからだそうです。すべての音が耳に入っても、必要としている情報が無意識のうちに選択され、当人の求める声だけ聞き手に届くのです。
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この逸話で教祖に届いていたのは、蔭膳を据える真実の心でした。教祖が受け取られるのは、いつも人の真心であり誠真実の行いです。なぜなら、その真実を、教祖は求めておられるからなのでしょう。
逸話篇には、常に「真心の御供」を喜ばれた、教祖の逸話がいくつも紹介されています。いつか教祖に「〇〇さん、御苦労やったなあ」と言っていただけるように、自分にできる真実を尽くしたいものです。
■文=岡田正彦
秋の親里の様子が動画で見られます。