天理時報2023年11月22日号3面
【神殿屋根葺替奉告祭 – 飾東大教会】飾東大教会(紺谷清一郎会長・兵庫県姫路市)は10月21日、神殿屋根葺替奉告祭を執り行った。今回の普請は、現在の大教会神殿の建築から60年以上が経過し、老朽化が進んだことによるもの。葺き替え作業の大半が、大教会につながるようぼく・信者ら延べ2千人以上によるひのきしんで行われた。当日は、世話人の飯降力本部員を迎え、大勢の教友が参拝。おつとめを勤めた後、直会は鏡割りを合図に、婦人会女子青年のダンスや青年会の出し物、婦人会による歌などが披露された。神殿の屋根葺き替えという形のふしんを終えた飾東につながる一同は、この日を吉祥に、教祖140年祭へ向けて心のふしんに邁進することを誓った。なお、前日の20日には鎮座祭が執り行われた。(飾東大・吉田社友), 【戸別訪問への苦手意識がある – 人生相談】Q. 数年前から教会の女子青年としてつとめていますが、戸別訪問によるにをいがけが苦手です。先日は、毎月の教会のにをいがけを、体調不良と偽って休んでしまいました。このままではいけないと思ってはいるのですが……。(20代女性)A. 戸別訪問によるにをいがけは、初対面の相手と直接やりとりする難しさがありますね。何軒も続けて断られると、「迷惑がられているのでは」と気が重くなったり、いざ話を聞いてくれてもうまく話せなかったり、それを思って実動を躊躇したりと、苦手な人は少なくないと思います。「にをいがけ」は、教えの匂い、信仰の喜びの匂いを掛けていくものですから、上手に伝えられなくても、おのずと伝わるものがあるはずです。教会の女子青年として勇んでつとめているあなたの信仰者としての心の「にをい」は、きっと相手に伝わると思います。私たちが動くことで、この教えを知ってもらうことになり、いつか、たすけを求める人に出会うことにもなるでしょう。すぐに結果が出なくても無駄ではありません。「をやの代理」として親神様の世界たすけのお手伝いをさせていただくこと自体が尊く、何よりのご恩報じにもなります。また、苦手意識にも意味があると思います。それに向き合い解消するために、布教部が推進している「にをいがけドリル」に取り組んでみてください。戸別訪問のここが苦手だと、仲間同士で気軽に話し合って解決の方法を考える、工夫するということが勉強になり、自身の信仰を見つめ直すことにもつながると思います。回答者:西村和久(一筋分教会長・「憩の家」事情部教師), 【車いすの子らの団参 家族同士で交流深め】4年ぶりの「秋のわくわくこどもおぢばがえり」には74人が参加。子供たちは、車いすや障害児用バギーで参拝した(11月3日)重度の障害がある子供とその家族が11月3、4の両日、4年ぶりに「秋のわくわくこどもおぢばがえり」と銘打って団参を行った。この団参は、医療的ケア児・肢体不自由児と当事者家族の交流などを目的に、本部准員の梶本満男さん(53歳)とたけのさん(52歳)夫妻が中心となって続けているもの。4回目となる今回は、スタッフを含む74人が参加した。梶本さん夫妻の次男・満天君(15歳)は、先天性の染色体異常「13トリソミー」と合併症の障害がある。手術と入退院を繰り返すなか、5歳のとき、医師から「一生外れることはないだろう」と告げられた人工呼吸器が外れ、自発呼吸ができるまでにご守護を頂いた。現在は、奈良養護学校へ通っている。梶本さん夫妻は、満天君が生かされていることへの感謝と、重度の障害がある子供とその家族におぢばへ帰ってもらい、共に時間を過ごしたいとの思いから、6年前に団参を企画した。3日午後1時、本部神殿西側のスロープ昇降口に集合した参加者は、車いすや障害児用バギーで西礼拝場へ。満男さんの説明を受けた後、そろって参拝した。教祖殿では、団参のスタッフによるおさづけの取り次ぎが行われた。この後、一行は第38母屋へ移動。「わくわくフェス」と称するお楽しみ行事が催され、また当事者家族の悩みなどを話し合う時間が持たれるなど、互いに交流を深めた。満男さんは「子供たちはもちろん、その家族も笑顔で過ごしてくれたことがうれしかった。私自身の年祭活動の一つとして、障害のある子供とその家族のつながりを広げ、一人でも多くの人たちにおぢばへ帰る喜びを伝えていきたい」と話した。, 【「おふでさき」に溢れる親心 – 視点】真柱様は、秋季大祭のあいさつの中で、教祖の個々のご行動やお言葉はもちろんのこと、「まず教祖は、50年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひながたとして忘れてはならない」とお話しくださった。この諦めることなく、丹精し続けられた教祖のお心の一端は、『稿本天理教教祖伝』の「第八章 親心」に示されている。第八章をよく読むと、この章の冒頭には「神」「月日」「をや」と頭註がつけられ、章の最後のところでも「おふでさき」の「神」「月日」「をや」について言及されている。言葉をかえると、第八章は「『神』『月日』及び『をや』について」に始まり、これをもって締めくくられている。教祖の親心の中心は、これに尽きることを意味している、と読むことができよう。この「おふでさき」における神名の変遷は、中山正善・二代真柱様によって初めて指摘された。この研究のポイントは、神名の変遷を明示された点にのみあるのではない。この研究を通じて、二代真柱様は、①「おふでさき」は子供である人間のことを第一に考えて、その成人に応じて「順序」を立てて書かれていること ②「おふでさき」は文面にあらわれている以上に、親として子供を思う大きな「親心」が行間に込められていること ③「親心」を「悟り取る」ところに、信仰の喜びと味わいがあること――を教えてくださったのである。「おふでさき」に溢れる教祖のうまぬたゆまぬ親心は、昔も現在も変わることはない。教祖は私たち一人ひとりに親として接してくださり、その人に一番相応しいように今をお導きくだされている。「言外に含められたところの親心というものを、私達はよく悟らなければならない」(昭和40年8月15日「学生・生徒修養会(前期)」に於けるお話」)とは、二代真柱様のお言葉である。教祖のたすけ一条の親心に対する信念を堅く持つとともに、そのお心を自らの心として、誠真実の生き方を心がけたい。(山澤)