天理時報2023年2月15日号6面
【不思議なお計らいに親心を感じて – 読者のひろば】本田なおか(49歳・奈良県香芝市)教友のAさんとは、教祖130年祭活動の旬に、にをいがけを通じて知り合いました。2022年10月、所属教会の秋季大祭と、毎年Aさんが家族総出で行っている稲刈りの日程が重なってしまいました。Aさんは、どちらを選ぶか迷った末、私がたびたび伝えてきた「教会につながることの大切さ」について思案し、参拝することを決めてくれました。しかし大祭当日、教会には浮かない顔をしたAさんの姿が。話を聞くと、自分だけ稲刈りを手伝わなかったことに負い目を感じているようでした。祭典後、家に帰るのが気まずいと、ため息をつくAさんに、私は「大丈夫、親神様はちゃんと見てくださっているからね。必ず働いてくださるよ」と声をかけました。後日、Aさんに会って話を聞くと、なんと家族の仕事の都合で稲刈りが急遽延期になり、日を改めて行うことになったので、Aさんも参加できたとのこと。不思議なお計らいに、親神様は常に温かい親心をおかけくださっていると、あらためて感じました。先ごろ、教祖140年祭への三年千日がスタートしました。Aさんにとって初めての年祭活動。お互いに成人させてもらえるよう、勇んで通りたいと思います。, 【いま自分にできるおたすけに挑戦中 – 読者のひろば】河田和江(61歳・広島県福山市)40年ほど前、妹の身上をきっかけに入信した私は、別席を運び、修養科を経て「教会長資格検定講習会前期」(当時)を修了。その後、私自身に肺の身上をお見せいただいたことから心定めをして、布教所を開設しました。それからも身上が相次ぎ、心を倒しそうになったときもありましたが、所属教会の会長さんや教友のサポートのおかげで、3人の子供を育てながらにをいがけ・おたすけに歩き、大難を小難にお連れ通りいただきました。しかしここ数年、コロナ禍の影響で人と接する機会が減り、対面でのにをいがけやおたすけが難しくなりました。そこで最近は、LINEやメールなどを活用した新たな取り組みに挑戦しています。ビデオ通話でお道の話を取り次いだり、先人の逸話を共有したりしています。初めは、相手に伝わっているのか不安になるときもありましたが、相談に乗った後にお礼を言われることがあり、「これが今の自分にできる人だすけなのかもしれない」と、次第に思えるようになりました。教祖140年祭へ向かう旬に、まずは私が初心に帰り、自分にできるおたすけを模索しつつ、お借りしている体に感謝して、三年千日を歩みたいと思います。, 【教祖ひながたを学ぶ一助に“おすすめ本”コーナー設置 – 道友社おやさと書店】道友社販売所の「おやさと書店」は現在、教祖140年祭へ向かう年祭活動のスタートに合わせて、教祖のひながたを歩む一助となる“おすすめ本”をピックアップしたコーナーを新たに設けた。これは、日常生活に教えを生かすとともに、おたすけに励むうえでのヒントになる書籍を紹介するもの。三つのカテゴリーに分け、ひながたを学ぶための本、ひながたに込められた親心を解説する書籍、道の先人の信仰実践をまとめたものなど、幅広くセレクトしている。このコーナーは4月中旬まで設置される予定。「おやさと書店」の営業時間は、午前9時から午後5時まで。“おすすめ本”の詳細はこちら, 【思いを継ぐ一夜の出会い – 日本史コンシェルジュ】江戸時代中期、国学者として名を馳せた賀茂真淵が、お伊勢参りの帰りに松坂(現在の三重県松阪市)に宿を取り、疲れた身体を休めていると、本居宣長と名乗る青年が面会を求めてきました。宣長は、昼間は町医者をしながら、夜は国文学の研究をしていることを告げ、いずれ古事記の注釈書をまとめたいという思いを、真淵に熱く語りました。「それは素晴らしい」と、真淵は大いに喜びましたが、一つ提案をしました。古事記の前に万葉集を研究すべきだと。実は、古事記や万葉集は、万葉仮名で書かれています。たとえば「八雲立つ」は、万葉仮名で「夜久毛多都」と表記されます。先人たちは、漢字の持つ意味よりも音を正確に伝えることを優先し、大和言葉の音に漢字を当てはめていったのです。万葉集には4,500首を超える歌が収められていますが、そのうち約4,200首が短歌です。短歌は、五七五七七の31音。長い古事記の文章に挑む前に、短歌を中心とした万葉集でお稽古をすればいいと、真淵は勧めたのです。それに、日本人は古来、歌にこそ真心を込めてきました。古事記の解明には、外国から伝わってきた文化の影響を受ける前の、純粋な大和心を理解する必要があり、その混じり気のない日本人の真心を知るには、万葉集が最適と真淵は考えたのでしょう。さらに真淵は、宣長に思わぬことを伝えます。いずれ私も古事記を研究するつもりで、万葉集の研究を始めた。しかし、万葉集の研究をようやく完成させたところで、すでにもうこの年齢(当時67歳)。私にはとても古事記研究をまとめることはできない。でも若いあなたなら、それができる!しっかり頑張りなさい、と。これは、真淵が何十年も研究してきた成果を「あなたにすべて譲る」ことを意味しています。この日、宣長は真淵に弟子入りをしましたが、二人が直接会ったのは、このとき一回きり。宝暦13(1763)年5月25日に起こったこの出来事は、「松坂の一夜」と呼ばれます。この後、二人は江戸と松坂の間で何往復も手紙を交わしました。つまり賀茂真淵は、通信教育で大国学者・本居宣長を育てたのです。そして宣長の素晴らしい研究により、万葉の歌人たちが輝き、古事記の神々がよみがえり、源氏物語を著した紫式部が光を放つようになりました。松坂の一夜は、日本文化史に燦然と輝き、不滅の光を放っています。