天理時報2021年6月20日号1面
逸話の季ITSUWANOTOKI梅雨に心も潤う花と緑を潤す雨だれ。地面をたたく心地良い雨音。梅雨ならではの、しっとりした風情を味わいながら、「親の懐」に抱かれている得も言われぬ安心感に浸るうちに、心も潤ってくる。(この写真をプレゼントします。詳細は4面広告欄で)「先を楽しむ」人生を6月です。中休みを繰り返しながら、長い梅雨が続いています。雨の日が続くと心も湿りがちになります。しかし、そんな人の気持ちとは裏腹に、雨露に潤された木々は四方に枝葉を広げて、この時季とても生き生きとしています。緑の濃さを増した樹木に近づいて枝をゆすると、美しい水玉が四方へ飛び散りました。雨の日には雨の日にしかない、自然の楽しみ方があるようです。6月の出来事を記した逸話に、「四七先を楽しめ」があります。明治9年6月16日の夜、人の噂話を思い出した増井りんは、増井家の松はもう枯れてしまう、だから家も潰れてしまう、と噂されていることを仲田儀三郎に伝えます。仲田が、このことを教祖にお伺いすると、教祖は「先を楽しめ、楽しめ。松は枯れても案じなよ。人が何んと言うても、言おうとも、人の言う事、心にかけるやない程に」と仰せられました。誰しも自分の未来を知ることはできません。だから、明日を楽しみに生きることができるのです。その一方で、将来への不安を完全に払拭して日々を暮らすことは、もとより誰にもできません。人の噂話や心ない言葉は、まだ何も書き入れられていない白紙の未来に、しばしば暗い影を落とします。何か具体的な心配事があっても無くても、他人の言葉に一喜一憂するのは今も昔も同じです。*噂を気にするりんに、教祖は「先を楽しめ、楽しめ」と仰せられました。教祖のお言葉を頂いたりんは、どれほど心強く思ったことでしょう。たとえ未来を知ることはできなくても、明日と向き合う意識のあり方が変われば、イメージする未来は変わってきます。同じ人生なら、やはり「先を案じる」よりも「先を楽しむ」人生を歩みたいものです。もうすぐ梅雨が明けます。今日は雨天を楽しみながら、明日の晴天に備えましょう。■文=岡田正彦天理大学宗教学科教授