天理時報2021年6月20日号2面
たすけ一条の心に切り替え新型コロナ終息のお願いづとめ教会本部は1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。これは、新型コロナウス感染拡大の終息と罹患者の平癒を願うとともに、お互いの心を一つに合わせて、ご守護を頂く意味を確認するもの。当日は殿内の参拝者を制限するとともに、中庭と南礼拝場前にパイプいすが設置された。正午、中山大亮様が拍子木を、宮森与一郎・内統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。おつとめに先立ち、宮森内統領があいさつを行った。宮森内統領は、いまだに多くの地域で「緊急事態宣言」が発出されている状況を踏まえ、「コロナ終息を親神様に願うとともに、不安を抱え苦しむ人を、たすけていきたい」と話した。続いて、「いかほどにむつかしよふにをもたとて月日ひきうけあんちないぞや」(十二号11)との「おふでさき」を引き、「どんなに難しいように見える場合でも、将来は親神様が引き受けてくださるので、少しも心配する必「要はない」と指摘。さらに、「このさきのみちをたのしめ一れつわ神のさんねんはらしたるなら」「にち/\にむねのそふぢにかりたらどんなものでもかなうものなし」(同22・73)のお歌にふれて、「親神様の積もり重なるもどかしさを、私たちが晴らしていったならば、少しも心配はいらない。いま私たちのすべきことは、明るい心でおたすけに努めることである」「「むねのそふぢ』とは、人間思案のない、先案じのない心に変えていくことである」と語った。最後に宮森内統領は「今日の日心によう理を治めてくれ。案じる事要らん。もうどうなってもこうなっても道の台という理、これより無い程に」(明治33年3月13日)との「おさしづ」を引いたうえで、「いまは、私たちの心を切り替える節目のときである。ただいまから、先案じの心を忘れ、人間思案を捨てて、ただ一筋にたすけ一条の心となって、親神様の自由のご守護にもたれきり、心をそろえて、お願いづとめを勤めたい」と述べた。なお、お願いづとめは毎月1日正午に本部神殿で勤められる。期間は年内の予定。新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、本部神殿でお願いづとめが勤められた(1日)奈良教区「おぢば伏せ込みひのきしん」提唱奈良教区(上村善孝教区長)は、おぢば帰りの際に本部神殿内のトイレ掃除を推奨する「おぢば伏せ込みひのきしん」を提唱。「コロナ禍でもできることをさせてもらおう」との思いで、5月1日から12月末まで期間を設けている。同教区では、たとえ些細なことでも貴重な報恩の行為であり、その小さな誠真実の集積によって陽気ぐらし世界へ近づいていくとの考えから、教会や個人で本部神殿で参拝した際に、隙間時間を利用して伏せ込みひのきしんに取り組むことを促している。神殿内の各トイレでは連日、管内の教友によるトイレ掃除がわれ、開始から1カ月間の加者は延べ300人を超える。また、この提唱には〝次なる成人の一里塚〟に向けての準備期間の意味合いも込められているという。上村教区長は「伏せ込みは、たとえ目に見える成果が出なくても、真実を尽くして御用をすることが大切である。来る三年千日の旬に向けて、ひのきしんの本質でもある自発的な精神を身につけてほしいとの思いで始めた。報恩感謝の行いから生まれる『喜ぶ』『勇む』の二つを胸に、自ら進んで伏せ込みを続けるきっかけにしてもらえれば」と語る。報恩感謝の汗を流す教会や個人単位での自主的な取り組みが続くなか、9日、南奈良支部(今井和人支部長)の呼びかけにより、管内の教会長やようぼくら4人が伏せ込みひのきしんを行った。参加者は、おつとめを勤めた後、殿内の各トイレでひのきしんに勤しんだ。参加者の一人、山澤安治さ(88歳・梅道分教会ようぼく・奈良県大和郡山市)は、定年を迎えた感謝の思いを胸に参加。「定年まで仕事ができたことへの長年のご守護に思いを至し、何かできることをさせていただきたいと考えていた。トイレ掃除はもちろんのこと、日常生活の中でも自分にできるひのきしんを見つけて、感謝の思いを表していきたい」と話した。なお、南奈良支部の「おぢば伏せ込みひのきしん」の様子を、下記QRコードから動画で視聴できる。南奈良支部の参加者たちは、日々の感謝を胸に報恩の汗を流した(9日、本部神殿で)おやのこころおやのことば晴天の如くの心を定め。「おさしづ」明治21年8月9日先日、知人から青梅をたくさん頂きました。半分ほど近所にお裾分けをし、残りの半分を使って梅シロップを作ることにしました。生の梅をいったん冷凍すると、細胞が壊れて糖分が入りやすくなります。大きめのガラス瓶に梅と同量の氷砂糖を交互に詰め、1週間ほど冷暗所に置けば完成です。今年の九州北部の梅雨入りは、統計史上2番目の早さでした。「梅雨」の語源は、一説には梅が熟す季節に由来するといいます。週間予報によれば、しばらくは、この時季らしい湿っぽい天候が続きそうです。「晴天の如くの心を定め」「おさしづ」をめくると、先人たちの身上・事情の伺いに対して「晴天」「曇り」「雨」といったように、天気に例えて心の置きどころを示されているお言葉が見受けられます。人間の心は、時に目の前の出来事に翻弄され、日々の空模様さながらに移り変わっていくものです。しかし、雲一つない晴天のごとく心が澄みきっていれば、親神様はどんな不思議なご守護も、いとも鮮やかに現してくださるのです。数日後、瓶をのぞくと、梅の実から染み出た果汁が氷砂糖を溶かし始めていました。このエキスを炭酸水で割れば、さっぱりとした酸味と甘味が楽しめそうです。梅雨が明ければ、いよいよ本格的な夏の到来です。クエン酸たっぷりの梅ジュースで、猛暑を乗りきるとしましょう。(さ)