天理時報2021年5月30日号5面
「おたねさん、クサはむさいものやなあ」とおっしゃったというのです。たねは、ハッとして、「むさくるしい心を使ってはいけない。いつも綺麗な心で、人様に喜んでいただくようにさせていただこう」と深く悟るところがあったといわれています。先の「食べるものも着るものも、わが身につけず、人様の身につけなされや」とい教祖のお言葉によって、「綺麗な心で、人様に喜んでいただく」という中身を具体的に読むことができます。家業を廃してからの数年間、夫は、おやしきの御用にあって留守がちな中を、生活のうえのお金の心配から子どもや講社の世話にいたるまで、苦労してお通りになっています。とうとう布団まで質に入れなければ日を越せないということになります。そんなあるとき、質屋の店先で布団を背負ったまま行ったり来たりしている夫をみかねて、わたしがと、その布団を背負い、ためらうことなくお金に換えたという話がのこされています。このような苦労のただなかにあるたねにたいして、神様は、「どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。今の難儀は末の楽しみやで」(おさしづ明治20・陰暦5月)と心を定めて通るよう促されています。教祖は、一れつの子どもが可愛いというお心から、50年にわたって、山坂や茨畔、崖道、火の中、水の中と譬えられる厳しい道を、ひとつひとつ通りぬけ、陽気ぐらしの「ひながた」をお示しくださいました。この教祖の大きなお心と、「今の難儀は末の楽しみ」というお言葉をたよりに、いそがしく不自由な中を、先長く思う心で力強く通りぬけられました。「たねは一枚上やで」四郎兵衛は、明治20年に「息のさづけ」戴きますが、そのよろこびを伝えるたね宛の手紙がのこされています。明治22年、たねも「おさづけの理」を戴きたいと申し出たところ、「まだまだ」と四郎兵衛は請け合いませんでした。けれども、その後、たねは歯痛で苦しみます。神様からのご意見ではないかと心を定めて願うと、すっきりと治まりました。そこで、おやしきへ帰り、本席様にお目にかかると、「十のものなら四郎兵衛は八分や、たねは一枚上やで」というお言葉があり、「おさづけの理」を戴かれるのです。後年、たねのおかげで、この道に愛想つかさず通ってこられたと語る人は多かったといいます。四郎兵衛の厳しい仕込みに腹を立てて帰ろうとする人を待ちかまえて、たねは、お茶などを入れて、「ああ言うておられるが」と、こと分けて納得のいくよう話し合ったといわれています。たねの大きな心の内をうかがうことができるお話のひとつです。生計の足しにと、梅谷家では一時期、洋家具商を営んでいた。家具を配達するとうめじろうきは、当時10歳の嗣子・梅次郎が車を引き、たねが幼児を背負って後押しをしたという。写真は椅子商の領収印奈良と大阪を結ぶ暗峠の街道。明治14年、四郎兵衞が初めてお屋敷へ参詣する際に、この坂道を上っておぢばを目指したと伝えられる。一面に敷かれた石畳が往時の面影を今に留めている時報歌壇珠實選餅肌の手指まわして「好き」「たのしい」曾孫は園で習いし手話する尾道市福島悅子九十七歳「ありがタイ推進運動」励みつつ現役ようぼくさづけ取り次ぐ東京都小松平凡な一日が過ぎありがたし優しき言葉を夫にも言う福山市藤井光子窓越しの面会すればなお寒施設の母の声無き映像土浦市腰山佑子尻尾まで餡の詰まった鯛焼きを懐に抱きわが家に急ぐ甲賀市咀中幸男世の中に未だ知らぬ食べ物のどれほどあるや夢はふくらむ江南市岡部達雄きさらぎの河川敷行けばふんわりと土の温もり上がりくるなり所沢市三上理恵子時過ぎて開拓地を今訪ねれば「熊に注意」の立て札にあう秋田市髙橋重雄潰す田を惜しみ建てたるマンションの隅の倉庫にある耕運機伊勢市久保眞二父母の辿りし大正、昭和の道一条己に甘きわが道を恥づ伊勢原市宇佐美正治ふるさとの母校は統合されて今、六人ほどの新一年生福山久美子妻を看る心の隅にうろうろと棲みつく者を祓いのけたし石川県岩城康徳朝寝して昼に寝て夕にも寝ると爺はいふなりコロナ禍のなか高槻市石田たまの子を乗せて園に急げば自転車をかすめて港の大鳴飛ぶ西宮市石黒由紀子遠き日の母の五平餅思ひつつあたたかき今日は胡桃割りをり飯田市松尾浩子選者詠虹を待つ気持ちでみます投稿の葉書読みつつ話しかけをり【評】この憂鬱な時代でも背筋を伸ばし、前を向いて生きておられる方々のお歌です。ろうあ者の福島さん、「ありがたい」と毎日を感謝しておられる小松さん、藤井さんは平凡でいられることの幸せを。皆様、どうぞ明るく生き抜いてくださいますよう。次回は、7月末までの到着分から選歌・選句。投稿は短歌3首、または俳句3句まで。お名前(ふりがな)、電話番号を付記のうえ、左記まで。〒632-8686天理郵便局私書箱30号「時報歌壇」または「時報俳壇」係Eメール[email protected]