天理時報2021年5月9日号6面
第14回「社会福祉大会」講演ダイジェスト誰かに助けられたらほかの人を助ける社会に辻由起子氏大阪府子ども家庭サポーター[つじ・ゆきこ]1973年、大阪府生まれ。佛教大学文学部教育学科幼児教育専攻と同社会学部社会福祉学科社会福祉士専攻を修了。子育て支援活動に携わり、「NPO法人ママふ「あん関西」副理事、「NPO法人北大阪「ダイバーシティ」副理事、子育て応援団体「子どもを守る目@関西」代表などを務める。布教部社会福祉課(村田幸喜課長)は4月25日、第14回「社会福祉大会」を陽気ホールで開催した。新型コロナウイルス感染拡大を防止するため、参加者を制限し、同課所管の連盟、委員会、研究室のメンバーらを対象とするライブ配信形式で行われた。講演では、大阪府子ども家庭サポーターの辻由起子氏が、「若者の育成と支援――――コロナ社会における若者の現状と課題」と題して登壇した(写真)。その内容をダイジェストで紹介する。高校卒業後に結婚し、18歳で出産。両親とは疎遠で、夫から日常的に暴力を受けるなか、家計を支えるために身重で働いた。仕事、家事、育児に追われ、いつしか育児ノイローゼに。「幸せになるために頑張ってきたはずなのに、幸せになれないのはなぜ?」と思い悩んだ。それを知るために大学へ通い、育児不安について学んだ。離婚後、社員として勤めたが、子育ての時間や体力の余裕がなくなったことで、子供が孤独を感じたのか、心を病んでいった。すでに個人で解決できる問題ではないことに気づいた。再び大学で学んだ後、これから先の子育て世代が自分と同じように苦しまずに済む環境をつくろうと、子育て支援を始めた。コロナ禍の中での子育て現在、子育てに悩む人の相談を年間1千件ほど受けている。その中には、子育て以前に根本的な生活の仕方が分からず、暮らしの土台がないゆえに、子育てできないというケースが少なくない。かつては、一人の子供に一家総出で世話をした。しかし近ごろは、さまざまな理由から一人親家庭が増えている。さらに、コロナ禍で外出や面会が制限されるため、出産後に子供の抱き方さえも分からないまま退院するなど、子育てを学ぶ機会が著しく失われている現状がある。また、若い女性の中には、悩みを相談したくても適切な窓口が分からず、公的支援を受けられない人が少なからずいる。頼れる人が身近にいないためSNSを利用し、気づかないうちに犯罪に巻き込まれる事例も出てきている。「受援力”育む環境づくりこうした困難な状況に陥らないために、自ら助けを求め、適切に差し伸べられた助けの手を、しっかりと握ることができる〝受援力〟を育む環境をつくることが必要だと考えている。人には誰かの支えが必要だ。さまざまな人とつながり合うことで、幸せは広がっていく。できないことがあれば、できる人に頼り、困っている人がいたら、自分の得意なことで手助けをして、補い合って生きていくことが本来の社会だと思う。私自身が実際に支援するときは、わが家で相談者と一緒に生活する。まずは、おしゃべりに興じることから始める。徐々に本音を聞き、できることを探して、一緒にやってみることを大事にしている。このような活動を行う中で、時折「お礼がしたい」との申し出を受けることがある。そのときは「その時間や費用にあなたの優しさを乗せて、ほかの困っている誰かに渡してください」と伝えている。その人の行いが社会の未来を少し明るくし、その積み重ねが、きっと未来の若者を救うことになると信じている。辻氏の講演を、左記QRコードから視聴できます。よろずの美の葉窓の外の「友」作家澤田瞳子SawadaToko私の仕事場は庭に面している。ここが最近、小鳥の通り道になったようで、仕事の途中に顔を上げると、スズメや鳩、メジロなど、様々な鳥が木の枝に止まっている。別に餌付けしているわけではないし、こちらが椅子から立ち上がれば、途端にばっと逃げ去るほど緊張を孕んだ関係だ。だが不思議なもので、毎日ぼんやりその姿を眺めていると、やかましく鳴き交わすスズメの群や首を振る鳩たちが妙にかわいく見えてくる。鳥たちが雨に打たれながら枝に止まっていれば冷たくないかなと気にかかるし、我が家の庭をスルーして飛んでいく群を見ると、「あれ、寄ってくれればいいのに」と言いたくなる。そんな仲ではないと承知しているのに、不思議なものだ。ところで能楽に「猩々」なる曲がある。猩々とは本来、中国の酒好きの妖怪。能「猩々」は、この妖怪が親孝行な酒売りに、汲んでも空にならぬ酒壺を与え、友である酒売りと会う楽しみや酒の嬉しさを寿ぐ―というめでたい曲だ。ちなみに科学実験などで用いられるショウジョウバエは、アルコールに誘引される性質から、酒好きの猩々ゆかりの名がついている。実は私は以前から、この「猩々」に強い違和感を覚えていた。なぜなら猩々は曲中、酒売りの男を友と呼ぶが、詞章を丁寧に読む限り、猩々は客に化けて酒売りの店を訪ねているだけで、彼とこれといった交友があるように見えないのだ。だが窓の外の鳥にいつの間にか親しみを持ち、あらためて「猩々」の詞章に目を通せば、馴染みの酒売りを友と表現する気持ちが漠然と理解できる。相手が動物でも人間でももしかしたら建物や鉢植えの植物でも、知るとはすなわその対象に歩み寄ることであり、相手を認識したその瞬間から、我々は彼らに親近感を抱くことになる。言い換えれば、人間はいつでも誰とでも「友」になれるのだ。そう思って見回せば、普段使っているスマホ、窓から見える桜の木、ふとつけたテレビに映っていた芸能人。我々は普段の暮らしの中で、日々どれだけの「友」に囲まれて過ごしていることか。窓の外のスズメはこちらを友とは思ってくれないが、それでもこちらはその愛らしい姿に目を細め、「ちょっと勉強してみようか」と鳥類図鑑で彼らについて勉強もできる。つまり友とは、ただ仲良しの相手ではなく、こちらの世界を広げてくれるありがたい窓でもある。さて、今日はどんな友と出会い、どんな世界が始まるのか。そう思いながら私は、今日も窓の外の鳥たちに目を細めている。