天理時報2021年4月25日号4面
特別企画信心への扉おやさまに導かれた女性人を喜ばしたら神様が喜んでくださる増井りん(下)文・伊橋幸江天理教校本科研究課程講師こんにち、『稿本天理教教祖伝』において、教祖の「ひながた」は明らかにされています。もう少し具体的に、ということになりますと、教祖に導かれた道の先人の姿をとおして学ばせていただくことができます。教祖に導かれたこの道の先人は、教祖のお言葉や、みずからの経験を、いきいきと伝えています。その先人の姿をとおして、教祖の「ひながた」は身近になります。ここでは、前回につづいて、増井りん〒1939年)という先人を取りあげ、その信心をとおして教祖「ひながた」との接点を求めたいとおもいます。もっと詳しく、この先人に触れたいということになりましたら、『誠真実の道・増井りん先人の遺した教話(五)』(道友社新書)という素敵な本が道友社から刊行されていますので、そちらをごらんください。身の内かしもの・かりもの目にお手引きをいただき、「教の理」を聞き分けて通られたりんは、日々、何からでも楽しんで、いそいそとつとめられました。次に、その心の内を知ることができる言葉をあげてみましょう。教祖から聞かせていただいたお言葉をいろいろと伝えていますが、その一つに、「教祖ご在世中から、『貸物借物が肝心じゃ』と仰しゃっていられました」とあります。この意味は、りんのお話から伺うことができます。「お互いに私どもは神様の御身の内に住居していて、日夜神様の御自由をいただいているのであります」「五体は神様よりの借物、すれば自分で勝手に使えるものではございません」五体、すなわち、私たちのからだは、神様よりの「かりもの」であるといわれ、具体的に、「腹の底からよく考えてごらん。眼では見せていただく、口で話は出来る、物は食べられる、ああ結構やなあ、ほんにこの自由自在の御守護は、えらいものやなあと、御恩を深く考えねばなりませぬ」と、神様の自由自在のご守護を説いておられます。そのことと世の中の常識とを対比して、「それをどうかすると、世の中の人は、我が眼で見ると思い、我が口で物を言うと思うから大した間違い」と、神様のご恩を知らずに、我が力に頼って生きている世の人々の心得違いを指摘くださっています。教の理を聞き分けられたそのポイントを、こうして語られるのです。神様の自由自在のご守護をいただくので、目で物を見ることができ、口で物を言うことができる。金銭や物、環境によって幸福があるのではない。それらを真に生かすのは、神様のご守護があってこそであった。心の眼が開かれるとともに、生き方が大きく変わったのです。生涯、心のつとめ一筋にその後、明治26年から15年間、本席様のお守り役をつとめられます。明治31年には本部員同格として別席の取次人、翌年には准本部員、33年には女性で唯一の本部員を拝命されました。「おさしづ」において神様は、本部員と同等に、ということをたいへん急き込まれています。定めた心を持ち続け、誠の心で一筋に通りきられたりんは、「男女の隔て無い」と諭されるとおり、神様からたいへん可愛がられた先人であったといえるでしょ。う晩年に本部玄関前で撮ったもの。「ホラ!写真とったる!」と、にこやか