天理時報2021年4月18日号6面
[天理スポーツ]TenriSports柔道体重別選手権3度目の正直で初優勝天理高柔道部OG新添左季選手天理高校柔道部OGの新添左選手(24歳・自衛隊体育学校所属・土佐分教会ようぼく=写真上)は3日、福岡市の福岡国際センターで行われた「全日本選抜柔道体重別選手権大会」女子70㌔級に出場。3度目の決勝進出で初優勝に輝いた。6歳のとき兄の影響で柔道を始め、天理中学校、天理高へ進学。1年時からインターハイなど全国大会への出場を重ね、大学女子柔道の強豪・山梨学院大学へ。そこで頭角を現し、「グランドスラム東京」や「ワールドマスターズ」で優勝するなど、日本トップクラスの選手へと成長した。得意技は「内股」。井上康生氏(現・柔道日本代表監督)の足を一発で弾く動きと、山下泰裕氏(ロサンゼルス五輪金メダリスト)の技をつないで決める動きをミックスしたオリジナルスタイルだ。今大会に向けては、組み手を重点的に鍛えてきた。自身4度目の挑戦となる体重別選手権。2017・19年には決勝まで勝ち進んだが、いずれも延長戦で敗れている。今大会、初戦は得意の「内股」を決めて一本勝ち。準決勝は試合序盤に仕掛けた「大外刈」で「技あり」を奪って勝利した。決勝戦の相手は、ここまでの2試合を「一本」勝ちした好調の寺田宇多菜選手(JR東日本所属)。開始から積極的に技を掛け合うも、お互いポイントを奪えない。このまま延長戦に突入するかと思われた3分38秒、新添選手が「払腰」で「技あり」を奪うと、これが決め手となり初優勝を手にした。この結果を受けて、6月に行われる「世界柔道選手権大会」の男女混合団体70㌔級代表にも選ばれた。新添選手は「これまで2度2位だったので、3度目の正直で勝てて良かった。国内で勝てていなかったが、これで自信がついた。たくさん練習をしてきた成果が出た」と喜んだ。◇なお、天理大学柔道部の中野寛太選手(3年)は男子100㌔超級に出場し、3位入賞した。写真提供=共同通信社読者のひろば小冊子の発行で信仰深め合い平野琳太郎(28歳・広島県三原市)現在、上級教会で住み込み青年を務めている。その傍ら、昨年4月からお道の教えについて綴る小冊子を発行している。大学から天理教校本科研究課程へ。くの先生や仲間と学びの日々を過ごし、卒業後も教えに親しむよう心がけてきた。こうしたなか、新型コロナウイルスの感染が拡大。「こんなときだからこそ、一緒に住み込む青年たちと、信仰について考える機会を増やしたい」と思い、これまで学んだ教理や日々感じる教えの素晴らしさを小冊子にまとめることにした。名称は、青年会の活動目標である「千遍聞いて千遍説く」をアレンジし、「千遍書いて千遍読む」という意味の「千読」とした。最初は、特に大切にしている教祖のひながたに関するエッセーなど、自分の原稿のみを掲載していた。しかし、号を重ねるごとに執筆協力者が増え、書いてくれた人同士で感想を述べ合うなど、お互いに勇み合える媒体になりつつある。さらに、教会の先生方が読んで声をかけてくださり、それがきっかけで信仰について語り合う機会も増えている。振り返れば、はや1年。ありがたいことに、いまでは300部も発行させていただいている。今後はさらに、多の若者が自身の信仰を深められる媒体となるように、内容の充実を図っていきたい。お知らせ輸送部4月本部月次祭交通情報は天理教HPへ4月本部月次祭の交通規制、駐車場案内、臨時列車(近鉄・阪神、JR)等の最新の情報は、天理教ホームページ内の「交通情報」でご確認ください。日本史コンシェルジュ歴女がご案内いたします白駒妃登美ShirakomaHitomiに託した明日への希望日本屈指の桜の名所・弘前城。満開の時期には、こぼれんばかりの花びらが幾重にも折り重なり、化が散り始めると、まるで桜の絨ように「花筏」が濠を埋め尽その美しさは、一度目にしたら忘れられないほどに壮麗で印象的です。それにしても、「花筏」って素敵な言葉ですよね。咲き誇る花を愛でるだけでなく、風にはらはらと舞う花びらを「桜吹雪」、そのった花びらが水面に浮かび流れる様子を筏に見立てて「花筏」、さらに花が散ってしまった桜の木を「葉桜」と呼び、新緑の香りと美しさを愛でる―散りゆく花をいつまでも惜しむのではなく、季節の移ろいを受け入れ、一瞬一瞬に楽しみを見いだす、それが日本人なんですよね。弘前城の桜を見ていると、眠っていた日本人の感性がよみがえってきます。弘前城が、ここに至る道のりは平坦ではありませんでした。明治初頭の版籍奉還と廃藩置県によって城主が去ると、城は行政機関としての機能を失い、手入れもされず荒廃していきました。その姿に心を痛め、私財を投じて桜を植えた人物がいます。旧弘前藩士の内山覚弥と青森りんごの開祖でもある菊池楯衛です。明治15(1880)年に内山がソメイヨシノ20本を植えると、その2年後、菊池が1千本を寄贈。しかし、彼らの思いは踏みにじられ、せっかくの桜が折られたり、抜かれたりして無残な姿に・・・時代はいまだ士族の気風が強く、「城に桜を植えて花見酒など、もってのほか」と考える人も多かったのです。それでも内山は諦めず、弘前公園が開園した28年に日清戦勝記念としてソメイヨシノ100本を寄贈。さらに市会議員の在任中、桜の植栽による公園美化を訴え続け、360年に大正天皇のご成婚記念として1千本を植樹しました。きっと彼らは、後世を担う者が美しい城郭と桜を仰ぎ見ながら、輝かしい明日に希望を抱いて歩んでいってほしいと祈りを込めたのでしょう。その祈りと、りんご栽培の技術を応用した弘前独自の管理法が奇跡を生みました。ソメイヨシノの寿命は60~80年といわれるなか、弘前公園には樹齢100年を超える桜が30本以上も存在するのです。しかも、そのうちの一本は「日本最古級のソメイヨシノ」で、樹齢10年を優に超えています。新たな文化や技術を積極的に取り入れ、それらを伝統と融合させることで、先人たちの大切な思いを未来へとつないできた弘前の人桜は、そんな彼らの真心の象徴でもあるのです。