天理時報2021年2月28日号4面
天理時報創刊90年記念エッセー入選作品テーマひのきしんに生きる散歩道で毎日の草取り岩崎和十三82歳・浦安分教会信者・福岡県岡垣町平成元年6月、現住所に引っ越してきた。その年の10月から体重減らしのために歩き始める。町内の東北部を3コースに分けて歩きまわり、古い地区や団地などを知る機会になった。団地には必ず公園とトイレがあり、寒い時期にもあわてることはない。夫が56歳で”第二の職〟を退いてからは、夕食後、毎日二人でおしゃべりをしながら歩いた。春は道端のスミレ、桜や名も知らぬ木々の花たち。田んぼの稲は緑を増していく。西へ向かうと夏の夕陽はビックリするほど美しい。秋は各戸の庭先で菊が出迎えてくれる。まわりの山では紅葉や黄葉と、毎日同じ風景は全くない。夫と歩き始めたころから、南のコースも増えた。わが家から鹿児島線沿いの道路まで1・5㌔くらい。線路に沿って東西に歩いたところに、20ほどの桜並木がある。その歩道は、かずらや萱、雑草で覆われており、草をまたいで歩くような状態だった。ふと見ると、半分壊れかけた看板があり、「十三桜通り・山田小」の文字がなんとか読み取れた。地元の小学生の手作りのようで、何年前のものか分からない。なんとなくご縁を感じて、桜の根まわりの草だけでもと思い、草取りを始めた。毎日出かけて作業をしていると、いろんな人たちから声をかけられた。通勤・通学の人にとっては駅への近道。買い物、犬の散歩、ウォーキングに利用している人もいる。会う人たちからお礼を言われ、こうなると〝途中下車〟はできない。草を取り始めて間もないころ、「あんた、全部やっとな(やるのですか)!」と大声で怒鳴られてビックリした。手を止めて見上げると、老人が笑顔で眺めている。「いえいえ、少しずつやれることだけ…..…..」と返したものの、心臓はドキドキ大波小波。あの方にすれば、あれは挨拶だったのだと後で気づいた。犬好きな私には、犬も寄ってくる。飼い主さんと親しくなり、『天理時報』を読んでもらったり、それが話題になったりもする。始めて半年くらい経ったころだろうか、子供会の役員さんから声をかけられた。「町長表彰に推薦したいのですが….………」と。「とんでもない、まだ始めたばかりです。10年も続いたら考えましょう」と、お断りした。2、3年後に地区の人から同じ話を頂いたが、もちろんお断りした。貧乏農家に生まれ育ち、見よう見まねで土と遊んできた私。花好きも手伝って始めた〝仕事〟?自分の健康のため、精神安定剤として楽しんでいるだけなのに、多くの人から喜ばれ、お礼を言われ、振り返ってみると1年余り。思えば当初は、ひのきしんとも思っていなかった。そんなある日、朝食の片づけをしていたら急に息苦しくなった。腹式呼吸を繰り返すうちに戻ったけれど、何の知らせだろう?いろいろ反省しても思い当たるふしはなかったが、「年齢を考えよ!」ということかもしれないと思い、神様にお願いした。「80歳も近くなりました。外仕事は分以内にしますから当分続けさせてください」以来、少しずつ広がっていた草取りの場所を考え直し、桜通りのみを楽しんでいる。初めて通りかかった人は、「これ一人でやってるの?」と言う。一緒にやろうと声をかけたら、それこそ「あんた「バカじゃないの」と笑われる始末。それでも、自然の中で花たちと語らい、涼しい風に吹かれ、時には小鳥が相手になってくれる。土をほじくっていると虫が出てくるので、小鳥が鎌のすぐ近くまでやって来る。数年前、近くの1000円カフェにご縁を頂き、新たな出会いが生まれた。駐車場のまわりに花を株分けして植えさせてもらい、草取りや手入れをしている。おいしいケーキとコーヒー(または紅茶)を頂き、ゲームやクイズ、また体操のお兄さんによる体のケアなど、優しい体操も教えてくれる。このところ、コロナ禍によってカフェは休みだけれど、私の仕事”は毎日欠かさず頑張っている。ぐっすり眠り、スッキリ目覚め、排便・排尿に「ありがとう」昭和20年代を原点とする私は、何もかも有り難くて、電気釜をはじめ洗濯機なども、使用後は必ず「ありがとう」と言っている。とにかく、「生かされている、お借りしている」体のことを実感する毎日。心から感謝の気持ちで過ごさせていただいている。“食を育む0家族の物語最終回小谷あゆみフリーアナウンサー、農業ジャーナリスト土地に根ざす阿蘇のあか牛みなさんは「和牛」というと、霜降り肉の黒毛和牛を思い浮かべるのではないでしょうか。実は、日本在来の牛をもとにした和牛には「黒毛和種」「褐毛和種」「日本短角種」「無角和種」の4品種があります。そのうち%を黒毛和種が占めますが、残り1・3が褐毛和種、いわゆる「あか牛」と呼ばれる和牛で、その多くは熊本県阿蘇地域にいることから「阿蘇のあか牛」と呼ばれています。阿蘇といえば、延々と続く草千里が有名です。この草原は1千年以上昔からあるそうで、この地で営まれる農業は、国連の食糧農業機関(FAO)によって「世界農業遺産」に認定されています。火山性の土壌で農耕には適さないところに、あか牛を放牧することで草地が保たれ、人が適度に牧草を刈ったり、野焼きしたりするなど、家畜と共に耕す農業、いわば人とあか牛との共生が、この景観をつくりだしてきたのです。阿蘇山の中腹にある産山村で「あか牛」を放牧する畜産農家の井博明さん(7歳)に、オンラインで話を伺いました。「井」さんという日本一短い苗字ですが、村には多い名前だそうです。井さんの家では、子供のころからあか牛を飼っていました。昭和40年代の初めごろまでは、いまほど農業機械もなく、干し草の運搬や田んぼを耕す役牛だったそうです。草だけでよく育ち、性格が穏やかで丈夫なことから、農家にとってあか牛は、労働力であると同時に、家族のように大切な存在だったのです。同じ和牛でも黒毛和牛は、輸入トウモロコシで太らせますが、あか牛は「草」という地元資源が活用できるので、飼料代はあまりかからず、放牧しておけば労働時間も削減できます。井さんたちは、「牛は草でつくる」をモットーに、栄養ある牧草と健康な牛づくりを研究し、農家に有益な放牧経営を進めてきました。そうした努力に加えて、近年の健康志向や赤身志向を背景に、サシ(脂肪)よりも肉自体の味の評価から、赤身肉主体のあか牛の人気が高まってきました。また、欧米では草だけで育った牛を「グラスフェッド」と呼び、環境に配慮した食べ物としての価値が高まっています。井さん家族は現在、畜産の傍ら、「あか牛」を提供するレストランと民宿を営んでいます。次女のゆりさん(38歳)は、結婚して熊本市内で会社勤めをしていましたが、1年前に夫婦で帰ってきました。後継者問題はどこも難しいものですが、井さんからは言い出せず、牧場も民宿もいずれは売るしかないなと、ぼやいていたそうです。するとあるとき、ゆりさん夫婦が「何も売らなくていいけん。私たちが帰るけん」と、勤めを辞めて戻ってくれたときは涙が出たそうです。井さん夫婦の頑張る姿が子供たちに伝わっていたのです。家族で営む農家レストランの人気メニューは、あか牛焼肉定食やサーロインステーキ。牛も、農家も、食べる人も、環境にもヘルシーなあか牛。草原を歩いて、景観を眺めて、土地の物語に触れながら食べたいお肉です。(終)読者のひろばおぢばで過ごした息子の変化樋澤麻登香(49歳・愛知県知立市)上級教会の春季大祭で、2歳になる息子と初めて一緒に、おつとめ奉仕者を務めさせていただきました。幼いころから身上を抱えてきた息子が、これほど結構な姿にまでご守護いただき、親神様に深く御礼申し上げました。息子に異変を感じたのは保育園のころ。お遊戯の時間に体が固まり、全く動けなくなったのです。当初は「恥ずかしいのかな」くらいに考えていましたが、小学校に上がっても様子は変わりません。調べてもらう中で「場面緘黙症」だと分かりました。これは、自宅では家族と問題なく会話できても、特定の場面・状況では周囲の人と話せなくなってしまうという病気です。心療内科へ通っても治らないなか、息子は専門学校まで進学。しかし、症状が好転することはありませんでした。転機が訪れたのは、昨年春。就職先が決まらずハロワークへ通っていたところ、上級教会の先生方が修養科を勧めてくださったのです。息子は、親元から離れて暮らすこと自体初めてでしたが、期間中は多くの先生方に支えていただき、無事に修養生活を終えることができました。地元に戻った息子からは3カ月間を通れたことへの自信が感じられました。その後、上級教会の春季大祭で初めて奉仕のお役を当てていただき、親子一緒に務めることができたのです。息子はいま、あらためて神様のご守護を感じているようで、「神様につながらないといけないね」と話しています。このご恩にお応えできるよう、親子でおたすけを実践していきたいと思います。ラジオ教話〟でリフレッシュ亀谷順子(5歳・岐阜県可児市)昨年4月、所属教会で参拝したとき、会長さんからラジオ「天理教の時間」を勧められました。いつでもどこでも、インターネットを通して過去に放送されたお道の話を聴くことができ、テーマや執筆者からも探せるので便利です。私自身、コロナ禍で喜んで通れない日もありますが、特に「心の治め方」というテーマのお話は、神様の思召にあらためて気づけるものが多く、自らの心を整理する時間になっています。両親は以前、本部月次祭に参拝し、祭典後に東講堂で行われる「おやさと講演会」へ足を運んでいました。現在は参拝を自粛せざるを得ず、お道の話を聞く機会が減ってしまった二人にも、ラジオ番組を勧めてみました。父は、スマートフォンでいろいろな先生のお話を、好きな時間に聴けるのがいいと言います。母も、空いた時間や就寝前に聴いて、普段の何げない行動や言動などを見つめ直す機会になっているそうです。一つひとつの話がコンパクトなので、忙しい人にもおすすめです。これからも身近な教友たちに広めていきたいと思います。文芸連載小説ふたり星の降る夜は作/片山恭一画/リン第18話虫に囲まれた生活前話のあらすじ両親の期待を重荷に感じた青年は、自ら命を断つために海を訪れたと告白する。話を聞いたピノは、カンは青年の未来が見えていたのではと思った。一緒に遊ぶ友だちこそいなかったけれど、カンは少しも寂しくなかった。身近にはいつも小さな生き物たちがいたからだ。チョウ、バッタ、トカゲ、クモ、テントウムシなど・・・・・・とにかく動いているものになら、なんでも興味をもった。ときには何時間も観察しつづけるので、わたしは途中で退屈して散歩に出かける。お喋りに夢中のスズメたちを驚かせたり、塀に小便をひっかけている野良猫に睨みをきかせたりして戻ってきても、あの子は膝を抱えたまま、ときには腹ばいになったまま動いた形跡がない。数年前までは何かつかまえると、かならず家のなかに走り込んできてハハに報告したものだった。「あのねえカン、虫は家のなかに持って入らなくていいから。あなたの持ってきた虫がベッドの下で卵を産んで、家じゅうがチョウやトカゲだらけになったら困るでしょう?」本人は困らないだろうが、トトやハハは困るだろう。わたしもクモやケムシに囲まれた生活は所望ではない。「このままだと人よりも虫と仲良くなってしまうかもしれないなあ」。トトは、ちょっと気がかりそうに言った。小学校の体験学習で田植えをしたときも、カンは稲の苗よりもカエル、カメ、メダカ、ザリガニなどの田んぼの生き物に心を奪われた。ほかの子どもたちがせっせと苗を植えているあいだも、泥のなかにうずくまった小さな貝が動きだすのを辛抱強く待っていた。「きみ、いまは労働の時間だよ」。顔を泥だらけにしたツツがやって来て言った。返事をするかわりに、カンはポケットから取り出した緑色の小さなカエルを手のひらにのせて差し出した。カエルはぴょんと跳ねてツツの顔にぶつかった。彼女は田んぼのなかに尻もちをついた。「耕運機や田植え機が入るまでは女の人は大変でした」。農家の人が子どもたちに話している。「六月十五日から七月五日ごろまでが田植えの時期ですが、そのころになると、女の人はみんな顔がむくんでいたものです」「田植えは女の人の仕事だったんですか」「まあ、そうですね」「どうして男は手伝わなかったのですか」「田植えの準備をするのが男の仕事だったのです。田植えのことは婦人部で決めていました」山の斜面につくられた田んぼは石垣によって支えられている。昔の人が、切り出した石を一つひとつ積んでつくり上げたそうだ。遠くから見ると、水路を挟んで左右にきれいに並んでいる。「このあいだはどうも」。声をかけてきたのは、海に落ちたカンを助けた青年だった。「手伝いに来たよ。省吾さんが田植えくらいは体験しておいたほうがいいって言うんでね。いま、あの人の農場で働いている。おとうさんが紹介してくれたんだ」田んぼに張られた水が光っている。「いい人だな、きみのおとうさんは」優勝記念(フォトブック)第5回全国大学選手権大会天理大学初優勝道友社【フォトブックおやさと心の景