天理時報2021年5月23日号6面
ありがとうポスト思い出のアップルパイ〝アメリカのお母さん〟ヘ山倉麻智子(66歳・薩州分教会ようぼく・天理市)40年ほど前、天理高校の教諭をしていた夫が「留学して英語でアメリカ史を学びたい」と言いだしました。2年間の準備を経て、テキサス大学オースティン校への留学が決まりました。私と当時1歳の長男もついていくことにしましたが、私は仕事や子育てなどに追われ、英会話の勉強もほとんどできずに渡米しました。夫は昼と夜の弁当を持って大学へ通い、図書館が閉まる深夜零時まで猛勉強。一方の私は、「ハロー」のひと言を発することさえ恥ずかしく、テレビの内容もちんぷんかんぷん。現地の味覚にもなじめず、だんだん孤独を感じるようになりました。そんなある日、夫が選択した科目の先生が、ピクニックに誘ってくださったのです。週末、4家族ほどがランチを持ち寄り、公園に集まりました。そのとき先生の奥さまが、私たちの生活について、いろいろと話を聞いてくださったのです。その後も奥さまは、私と息子を買い物へ連れていったり、七面鳥の丸焼きなどの伝統料理で私たちをもてなしてくださったりしました。親切にしてもらう一方で、私には後ろめたい気持ちがありました。英語での意思疎通が図れないため、奥さまがつまらない思いをされているのではないかと不安を感じ、夫に尋ねてもらったのです。すると、奥さまは「そんなことはない」と優しく答えてくださり、ほっとしたのを覚えています。最も印象に残っているのは、奥さまから作り方を教わったアップルパイです。アメリカの定番料理で、それぞれの家庭の味があり、砂糖の代わりに蜂蜜を入れる奥さま手作りのアップルパイを、私たち家族はとても気に入りました。親交を深めるうちに、困ったことはなんでも相談するようになりました。そんななか、少しずつ英語を覚え、アメリカでの生活がとても楽しくなっていきました。いつしか私は、奥さまのことをアメリカのお母さん、と思うようになりました。帰国後、夫は先生から学んだことを胸に教壇に立ち続け、のちに天理大学教授となり、この3月に退職しました。息子をおんぶしながら、英和辞書を片手に奥さまからレシピを教わったアップルパイは〝わが家の味、となり、いまでは孫からもリクエストされます。現在、83歳になられた先生は、お元気で教壇に立たれています。奥さまも、先生をサポートされているそうです。アップルパイを作るたびに、私たちの人生の基礎を築いてくださった“アメリカのお母さん、のこと、そして異文化に体当たりをして、視野を広げられたアメリカでの2年間を懐かしく思い出します。感謝の手紙募集中!〒632-8686天理郵便局私書箱30号FAX0743-62-0290Eメール[email protected]いずれも、天理時報「ありがとうポスト」係表彰少年の〝心の皺〟を伸ばす法務大臣感謝状鳥取の小松原幹夫さん米子市の小松原幹夫さん(88歳・成実分教会前会長)は先ごろ、3年間にわたって教護師を務めた功労に対し、上川陽子・法務大臣から感謝状を贈られた。昭和63年、市内にある少年院「美保学園」の教誨師となって以来、1回の面接と2ヵ月に1回の講話を続けてきた。平成24年から28年までは、鳥取県教誨師連盟副会長と「美保学園」教誨師会長を兼任。2年に「藍綬褒章」、25年には「日本宗教連盟理事長表彰」を受けた。小松原さんは「少年たちの〝心の皺〟を伸ばすことが私の役目と考え、お道の教えを交えながら親孝行の大切さなどを伝えてきた。今日まで健康に務められたことを、親神様に感謝申し上げたい」と語った。(鳥取・明石代表社友情報提供)お知らせ輸送部5月本部月次祭交通情報は天理教HPへ5月本部月次祭の交通規制、駐車場案內、臨時列車(近鉄・阪神、JR)等の最新の情報は、天理教ホームページ内の「交通情報」でご確認ください。https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/traffic_information/日本史コンシェルジュ〝歴女〟がご案内いたします白駒妃登美ShirakomaHitomiスポーツの持つ力が敗戦国に与えた希望1948年、ロンドンで開かれた戦後初のオリンピックに、日本の参加は叶いませんでした。38年に決定していた東京五輪の開催を返上したことに対する制裁措置でした。このとき、もし出場していれば金メダル確実といわれた選手がいます。古橋廣之進。のちに「フジヤマのトビウオ」と呼ばれる人物です。日本水泳連盟は悔しさを晴らすべく、ロンドン五輪の競泳決勝と同じ日に、日本選手権を開きました。1千500メートル自由形での古橋選手の圧勝に日本中が熱狂。彼の記録は、ロンドン五輪の金メダリストよりも4秒も速かったのです。ところが、このとき日本水泳連盟は国際水泳連盟から除名されていたため、世界記録は幻に――。いや、それどころか「日本のプールは距離が短いに違いない」「ストップウォッチが壊れていたのだろう」と海外メディアは報じたのです。戦争に負けるということは、こうした屈辱を味わわされることでもあるのですね。翌年、古橋選手の実力を世界に示すチャンスが訪れます。ロサンゼルスで開催予定の全米水泳選手権に、日本チームが招待されたのです。日系二世のフレッド・イサム・和田が、自宅に選手を泊め、練習先への送迎も買って出ました。正子夫人も手料理で選手をもてなします。それは費用を切り詰めるためでもありましたが、「日本人を泊めるホテルがない」という切実な事情もあったのです。敵国・日本のイメージが、米国内にまだ色濃く残っていたからです。こうして迎えた全米水泳選手権1千500メートル自由形予選A組を制したのは橋爪四郎。ロンドン五輪の優勝タイムを約20秒上回り、世界記録を樹立しました。どよめきがやまぬなか、予選B組がスタートすると、ボルテージは最高潮に達します。異次元の泳ぎを見せたのは古橋選手。彼は橋爪選手の記録を16秒縮め、あっさりと世界記録を更新しました。翌日の決勝は大接戦の末、古橋選手が1位、橋爪選手が2位に。そして3位には田中純夫が入り、なんと日本人が表彰台を独占したのです。「和田さんはじめ日系人の皆さんのおかげ」と感謝する選手たちに、和田さんは告げます。「お礼を言いたいのは、私たちのほうです。昨日までジャップと蔑まれてきた私たちが、一夜にしてジャパニーズと呼ばれるようになりました。本当にありがとうございました」スポーツの持つ偉大な力が、敗戦に打ちひしがれた国民に勇気と希望を与えたのです。