自ら求め体験してこそ – 視点
春季大祭後の最初の日曜日、天理駅前で路傍講演する知人と言葉を交わし、ホームに入ると、大阪へ布教に行くという先輩と出会い、年祭活動が動きだしたことを実感した。
明治20年正月、おつとめを勤めれば官憲が干渉するので、教祖の御身を案じた人々が躊躇するなか、教祖は、親神様を信じきってつとめを実行するよう急き込まれ、26日に、人々が心を定めて勤めたことを見定めて、世界たすけの扉を開かれた。
3年前から続くコロナ禍のもと、全教の教会は、月次祭に、たとえば信者さんの参拝を遠慮してもらう、直会を見合わせるなどの対応に苦慮してきたが、おつとめ自体をしなかったとは寡聞にして聞かない。教祖が御身を台にして仕込んでくださった教えが、連綿と息づいている証しといえるのではないか。この信念を込めたおつとめを基盤として、いよいよ始まった年祭活動のおたすけの動きを活発に行い、陽気ぐらしを目指す道を前へ進めたいものである。
ところで、扉を開かれる直前のお仕込みは、たすけ一条の道全体に関わる重要な教えだが、ここに至るまで、教祖は人に臨み時に応じて、親神様を信じ、もたれきる心を養うよう導かれた。村人に初めて、をびや許しを渡される際、産後の患いの婦人に「疑いの心があったからや」と、心の置きどころを諭された。このことに象徴されるように、周囲の人々に対して、神様にもたれ、心を入れ替えることで病が癒え、家族をはじめ人間関係も治まるなどの実体験を通じて、親神様のご守護に間違いないとの信念を持つよう、年限かけてだんだんと仕込まれたのである。
いま、「宗教2世」の問題が喧しい。信仰の継承も、世間の一般常識では量れない、親神様の存在とお働きのあることを定規とする信仰的な考え方に基づき、一人ひとりが自ら求め、少しずつでもやってみるという体験の積み重ねによって、自分の信仰として確信するに至るのである。
この三年千日、ひながたを目標に教えを実践し、その中でもおたすけに積極的に励むことにより、それぞれが確たる信念を身につけ、伝えていきたいと思う。
(松村義)