両親の姿に倣い教えを伝えたい – 修養科の四季
第974期 濱田夏希さん
24歳・三重県名張市・神良言分教会所属
道一条に通る両親の姿を見て育ちました。幼少のころから風邪をひくと、「かしもの・かりもの」の教えの話とともに、おさづけを取り次いでくれました。しかし、当時の私は「なぜ、この話をするのだろう」と思い、信仰する意味がよく分かりませんでした。
短期大学で保育士の資格を取得し、卒業後は天理託児所に勤務。やりがいをもって仕事に精を出すようになった2年目のある夜、強い腹痛に襲われました。横になるのもつらく、冷や汗をかく症状が何日も続きました。ついには、勤務にも影響が出始めたため、「憩の家」で検査を受けました。
その結果、下腹部に異常があるとの診断。仕事をセーブしながら、副作用の強い治療薬を長期間服用することになったのです。「これからというときに、なぜ?」と、涙が止まりませんでした。
下腹部の痛みや薬の副作用で食欲のない日が続くなか、職場の先輩は「おぢばでお見せいただいていることだから、きっと大丈夫」と何度も励ましてくれました。
こうして、下腹部の身上を抱えたまま翌年に退職、上級教会で女子青年としてつとめ始めました。そんななか、上級教会の会長さんの勧めで修養科を志願したのです。
人の心に目を向けて
最初の1カ月は食事は取れていたものの、お腹が空くという感覚がありませんでした。
そんなある日、クラスメートとひのきしんをして体を動かすうちに、久しぶりにお腹が空いてご飯が食べたいと思えたのです。その日の夕食を頂くと、満足感を味わえました。「お腹が空いて、ご飯が食べられることが、こんなにもありがたいことなのか」と、あらためて実感するとともに、「かしもの・かりもの」の教えを身をもって感じました。
その後、心の余裕が出てきた2カ月目。精神的な身上を抱えたAさんが修養科に入ってきました。
ある日、私がAさんにおさづけを取り次がせていただくことに。その際、取り次ぐ前に「かしもの・かりもの」の話が自然と口をついて出ました。身上を通じて「かしもの・かりもの」の教えを肌身に感じたことで、自分自身の心の向きが少し変わったのだと思います。
おさづけの取り次ぎを終えたとき、幼いころ両親が丁寧に「かしもの・かりもの」の教えを話してくれたように、私自身も教えの一端を伝えられるようになりたいと素直に思いました。
その後もAさんのたすかりを願ってお願いづとめやひのきしんをすることを心に定めて実践。私が修了する間際、塞ぎ込みがちだったAさんが前向きに修養生活を送るようになっていました。
後ろ向きに捉えてしまっていた私自身の身上も、いまでは神様からの温かい親心なのだと受けとめています。そんな信仰の喜びを胸に、これからも人の心に目を向けて、この道を通らせていただきたいと思います。
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修了後、上級教会の女子青年として再び伏せ込んだのち、2月から地元の保育園で勤めています。社会へ出ても、”修養の日々”で学んだことを忘れず、両親の姿に倣いながら信仰実践を続けていきたいと思います。