地球か、地域か – 新連載 世相の奥
井上章一・国際日本文化研究センター所長
地球にやさしくなろう。そんな掛け声が、世界中でとなえられている。脱炭素、SDGsという標語も、よく耳にする。ガソリンを燃料とする自動車は、とおからず姿をけしそうだ。いずれは、電気自動車におきかえられていくという。
新築の家屋は、みな屋根の上にソーラー・パネルをのせてほしい。東京都の小池知事が、そう都民によびかけていると聞く。それぞれの家が、太陽光発電で自宅の電力をまかなうよう、すすめているらしい。
この仕組みがととのえば、真夏の電力不足はさけられよう。発電所のフル稼働という事態も、回避することができる。地球温暖化対策にも貢献しそうである。知事の発言にも、うなずけるところはある。陽当たりの悪い家からは、苦情がくるかもしれないけれど。
私も、拙宅にはソーラー・パネルをおこうともくろんだ。十年ほど前に新居をもうけた時は、その前提で工務店と話をすすめている。地球にはやさしくありたいと、私なりに考えて。もちろん、電気料金を低くしたいという算盤もはじきながら。
このプランは、しかし実現しなかった。建築確認申請のさいに、役所からはねつけられている。ソーラー・パネルの設置は、まかりならない、と。
私は京都府の宇治市にすんでいる。拙宅も宇治市にある。宇治川とむきあう川沿いに、たっている。景色は悪くない。ちょっと自慢の立地である。じじつ、あたりは琵琶湖国定公園に、くみこまれている。ねんのためしるすが、宇治川は琵琶湖を水源とする川である。
そして、国定公園内には、さまざまな景観上の規制がある。住み手が、かってに自宅の色や形をあんばいすることは、ゆるされない。我が家にも、宇治市役所の窓口は、いろいろ注文をつけてきた。たとえば、ソーラー・パネルは周囲の風光をそこねる、と。
太陽光発電は、地球にやさしい発電装置であろう。だが、地域の景観にたいしては、けっしてやさしくない。役所との交渉で、私はそのことを学習させられた。地球への善意と地域への善意は、両立しえない場合があると、かみしめたしだいである。
こういう矛盾は、どうのりこえたらいいのか。私に妙案はない。景観的な配慮があるソーラー・パネルの出現を、のぞみたいものである。
井上章一
1955年、京都府生まれ。80年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター教授等を経て現在、同センター所長。専門の風俗史のほか、日本文化についてユニークな視点で広い分野にわたり発言。著書に『つくられた桂離宮神話』(講談社)、『南蛮幻想――ユリシーズ伝説と安土城』(草思社)など多数。『京都ぎらい』(朝日新書)で新書大賞2016を受賞している。